×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

カントリークラブ

こんばんわ。

 

FoZZtoneのカントリークラブが大好き。

筒井です。

 

欲張り

 

木曜日ってのはなんだか世の中が少し落ち込んで全人類の作業効率が最も下がる曜日だと思ってます。世の中のサラリーマンとOLの気分が少し落ち込んでる傍ら、僕はこのまま今受けてる会社を落ちたら、何もなくなってしまうと考えて更に落ち込みます。参ったね。そんな時にとりあえずFoZZtoneを聴けば「ああ、なんとかなるな。」という気持ちになるのです。精力剤みたいなもんなんだよ、僕にとっては。聴けばギンギンなんだよ。

 

 

どうにかやれてる

 

なんだかツイッターで「心を病んだ私たちに対して「頑張れ」と言われるのは辛いことなんです。」っていうクソみたいなツイートが流れてきて、思わず引用RTしそうになりました。どうせそういう人は何も言われなきゃ「誰も認めてくれない」とかいう承認欲求を餌にクソしてるだけの生き物なんだから、応援メッセージくらい素直に受け入れる器を持つことからリハビリはスタートしようぜ。というより言うほどその「頑張れ」に気持ちは篭ってないから安心してほしい。誰かの言葉は思った以上に軽いんだから。そして誰も褒めてくれないなら、しっかり自分で自分を褒めなきゃだめ。自分の言葉くらいは重たく感じるように人間はカスタマイズされてるらしい。便利なもんです。ええ。

 

エスパー

 

僕はブログで音楽のコラムを書くわけでもなく、誰かを励ますわけでもなく、ただ「筒井はこう思います。」ってのを288本も書いてきたらしい。昔の記事を読み返すと今と言っていることが二転三転してて面白い。人は変わらないらしいけれど、どうやら変わることもあるらしい。それでも思い出だけは不変だ。安心する。

 

思い出と言えばね、僕はFoZZtoneの「平らな世界」を多分世界で一番聴いてきた自信があるんですよ。バカみたいな話でしょ、いきなり。話がコロコロ変わる人は早漏らしいよ。でもこれ本気なんですよ。世界で僕が一番「平らな世界」を聞いてる自信があるんです、念には念を入れて、二回言いました。人生観がどうとか、恋愛観だとかいう歌は80歳過ぎても聴ききれないほど世の中に量産されているんだけど、それって中途半端に主観の歌詞なんですよ。アーティストの経験なのか、それともフィクションなのかも曖昧で、それがリアリティを増せば売れるっていう簡単な仕組みが丸見えなの。だいたい今のバンドはさ「君」と「僕」さえ出ていれば歌詞のストーリーが成立しがちで、聴き手は「君」になるか「僕」になるかを委ねられているわけだ。分かりづらいかな。じゃあもう少し話を変えよう。国語の教科書や小説で物語を読むときに僕らはどこ目線でそのストーリーを追っていくだろうか。まさか「ぼっちゃん」を読んでいるときに「ぼっちゃん」に自分を重ねる現代人は希少だろう。それでも主人公になりきるのか、それとも主人公の相方や恋人になりきるのか。凡そそのパターンと「第三者」になるパターンに分かれるだろう。ここで言う「第三者」ってのは俯瞰しているようなイメージ。神さまにでもなったような気持ちで、物語が進んでいくのを天国から追っているような感じよ。歴史小説なんて読んでるとこれが大半じゃないのかな。誰かの人生を追っていくようなさ。話は戻るんだけど、これを曲で表現するには非常に難しい。音楽は自己投影が何故か重要視されているから。そんな中「第三者視点」をさり気なく展開していくのが「平らな世界」ってわけ。僕らの立ち位置は歌詞からはずっと外側にいる。外側から歌詞の中で繰り広げられるちょっとした人生を眺めることができる。まるで本を読んだような感覚に陥る。そんな曲、僕は他に知らない。視点が二転三転するような不思議な歌詞の魅力に取り憑かれてから、もう10年も経ったらしい。10年前から「あらゆる想像に耐え得る心を養っとけ」を信じて聴き続けてるらしい。わりといい言葉だと思うでしょ。こんなに歌詞を楽しめる曲はなかなか無い。薄っぺらくない、20代中盤の淡い人生が垣間見える。なんとなく不安な人にとって、素敵な一曲になれば幸いです。

 

長くなってしまいました。

つい熱が入りました。

ありがとう、ではまた。

 

 

 

 

【歌詞つき】平らな世界(live ver) / FoZZtone[official] - YouTube