×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

下書きの本番

 題名だけで5分くらい悩みました、こんにちは筒井です。 

 

 

「下書き」

 

 ツイッターにも、ブログにも、下書き機能が搭載されている。僕は下書きが好きだ。下書きこそが現実であり、下書きは実家の部屋にある鍵付きの引き出しのようなもので、僕以外誰も開けることはできない。恐らく使い方として最も正しいものは、途中まで書いたものの時間が無くて「一時保存」しておくような使い方なんでしょう。そもそもツイッターの240字を書き終えないくらい忙しい時にスマホ触ってんなよって思うけれど、下書きって多分そんな感じですよね。それとは別に下書き送りになってしまった可能性があるならば、書いている途中に「これ投稿したらマズイな。」という自制心が図らずも働いたときでしょう。

 

 僕はたかだか400人くらいしかフォロワーがいなかったから何書いても炎上なんてしないと思うけれど、たまにそんな自制心が働いておりました、思い返せばコンビニのアイスケースに体ごと突っ込んだり、皇族を侮辱したりしない限りセーフでしょう。「米津玄師って顔はイマイチだな。」とか書いても「いいね」を押してくるような性根の腐ったフォロワーが多かったので、類は友を呼ぶを体験させていただきました。そんな僕もツイッターを消す前に下書きを開くと、出るわ出るわ、膿が出る。超特大のブーメランとか入ってて、自分で笑いました。いつ自分に仕掛けた罠かよっていう。それでも当時言いたくても言えなかったことがそこには収納されていて、別に今は何とも思っていないことで自分が躊躇った「何か」がそこにはたくさん入っていた。もう今年も10日弱しかない。下書きを眺めて、当時の気持ちを振り返りながら削除ボタンを連打したらどうでしょうか。

 

 

「左」

 

 左利きなんですよ。僕は。

 

 左利きの人は恐らく左利きという持って生まれた才能のようなものに酔い知れている人が多く「左利きは天才肌」という言葉は初めてご飯を食べる人からその都度話され、自分は他とは違うんだという優越感が知らずに肥大化し、拗らせている人が多い。ビル・ゲイツピカソダ・ヴィンチも左利きだったみたい。俺はニートだけど。

 

 筒井家は驚くべきことに祖父母の四人+父親と母親全てが左利きであり、僕は恐らく稀に見る純血の左利きだ。そんな父親は何を思ったのか僕の文字だけは右に矯正し、幼稚園時代の記憶なんて殆ど無いにも関わらず、自宅のリビングで泣きながらカタカナを書かされたのを覚えている。頭が逆になっているから文字が逆になり、書きたいものが書けない状態だった。特にカタカナの「ミ」は「須」これの左側みたいになってしまい、何故かイライラしている親父に幼稚園児ながら発狂していた。

 

 左利きで得をすることは初対面の人から少しチヤホヤされるだけで、左利きだからと言って女の子にモテまくったことはない。ガストのスープバーのオタマを左で握れば、注ぎ口はいつも天井向いている。どこに向かって注ぐんだ。改札は全部右側だから後ろ向きで入るほうが楽かもしれない、楽器もレフティは種類が少なくて右利きを購入した。そしてお決まりの、無理矢理矯正すると頭がバグるらしく、左利きの人は右脳を使い、右利きの人は左脳を使うにも関わらず、ペンを右で持った場合は一体どちらの脳みそを使っているんだろうか。

 

 そしてここからは何の確証も無いけれど、バグった僕は小学校の頃からローマ字打ちが全く出来ず、そもそも覚えられず、「かな打ち」という現代文明から迫害されつつあるキーボードに配列された「ひらがな」を打ち込むほうが得意になり、今も「ひらがな」で打っている。これは完全に持論なんだけど、恐らく両利きになったメリットじゃないだろうか。両方の指が器用に色々と動き、ローマ字よりも早い。ローマ字のように毎度母音に返ってくるそんな甘いことをしてない。そう、僕は日本国内で数少ないアンチローマ字党だ。

 

 最近、外付けのタブレット用キーボードから「ひらがな」が消えて英語だけが残っているものがある。一体僕はこれから時代についていけるのだろうか。だって、少し冷静に考えてみて。「つつい」と打つのに「tsu tsu i」って叩く量は二倍だよ。僕はキーボードからひらがなの配列が無くなっても、ローマ字打ちには屈さないどうでもいい決意をここに書きたかった。ココ最近で一番どうでもいいブログになった。ウケる。

 

 

早く風邪治します。