×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

大人検定6級

 

 

 

こんばんは、筒井です。パーマは今日も僕と違ってご機嫌な感じでふわふわしてて、気分がよさそう。

 

 

 

 

   毎度毎度、何を書こうかと悩む。特に誰かに言いたいことなどない。その度、ここはそういう誰かに向けて発信する場所じゃないと、謎に飲み込む。そしてここまでを行きの電車で書いた。そして今、帰りの電車でたくさん浮かんだから書く。

 

 

 

 

 

 

『大人の基準』

 

  

 

 現実は甘くない。考えが甘い。理想論。夢見過ぎ。学生気分。社会知らず。責任が無い。詰めが甘い。足りない。惜しい。あと一歩。夢見がち。無謀。

 

 

 

  こんなことを対面で言われることは滅多に無いけれど、社会人四年目くらいになるとなぜか自分にこれらの言葉を投げかけることが多く、恐らく新卒も、何なら学生もバイトの中で感じていたり、試験や資格検定で感じているかもしれない。誰に言われることもなく「劣等感」を抱くようになる。そしてこんなことここで書くと「何を偉そうに。」と自分に思う。その無限ループ、永久機関に苦しんでいる。「大人にならなくちゃ。」と尖りに尖ってしまった僕も、どうやら時たま思うのだ。僕の身長が低いのは、その分大人になろうと背伸びした弊害だ。自分が理想としていた大人の影は色んな薄汚いモノに掻き消されて、その薄汚さこそが「現実」だったりもして、そもそも何が理想なのかももう忘れてしまった。いや、ハナからそんな「理想の大人」なんて考えたことがあっただろうか。「どうなりたいか?」と問われて、即興で「僕はこうありたい。」と意識して生きてきただろうか。そうか、「理想の大人」なんてことを考えたことがないのに、そんな言葉に踊らされて、僕らは「どうあるべきか」と焦っているだけじゃないか。安心した。

 

 

 

 

「煽りをうける」

 

 

 

 

   電車広告で「そんな仕事でいいの?」みたいな求人広告を目にする。もともと求人広告会社にいた僕からすると、人材業界も闇が深いんだから、この広告にOKを出したマーケティング担当者も、提案した広告代理店も、イラストやフォントを起した製作会社のデザイナーも「こんな仕事でいいの?」と思いながら「そんな仕事でいいの?」という広告を作ったような哀愁を感じる。僕らは広告に煽られ続けている。今の会社は小規模ながらも潤沢な資金のあるベンチャーで、僕はSNSを活用した企業のPRを提案/企画担当をしている。僕自身がSNSが好きな癖に苦手で、ツイッターなんて消して始めてを繰り返してる人間だ。インスタグラムはそこそこに使っているものの、飯の写真ばっか撮ってる奴らを心からバカにしている。どうやら世の中には最近、生きるために飯を食うのではなく、撮るために飯を食う奴がいるらしい。笑えるぜ。そんなことをしながら、美味そうな飯に囲まれた男女の写真に「いいね!」が2000件くらいついた投稿を見て、俺は煽られている。楽しそうな日々を送りやがって。と。そんなものに必死でせせら嗤いをしながら、一生懸命企業の担当者にSNSインフルエンサーの魅力を伝えている。大人になるとは、こういうことなのかもしれない。

 

 

 

 

   「大人になる条件」

 

 

 

   ジャズを聴いて、ウイスキーを丸い氷で飲みながら、葉巻でも嗜んでいたら大人っぽい。高いスーツを身に纏い、シルクのネクタイに聞き覚えのあるブランドの時計、綺麗に磨かれた革靴、大人っぽい。

 

 

   鳥貴族でメガサイズのハイボールを飲みながら、我慢していたタバコを友達から一本だけ貰い、三年前に買った¥4320のTシャツに焼き鳥のタレを零しながら、高校の友達と下品な話で笑って、割り勘で済ます。学生っぽい。

 

 

  それじゃあ

 

 

 

   ジャズを聴いて、ウイスキーを丸い氷で飲みながら、葉巻を鳥貴族で嗜みながら高校の友達と下ネタで盛り上がる奴はどうだろう。

 

 

 

 

どこからが「表面上」大人っぽいのか。

実はすごく曖昧だ。

 

 

 

 

 

 

   「皮肉と生ハム」

 

 

 

 

 

 

   社長から「顔が丸くなったね、カービィみたい。」と言われた。確かにまた丸くなった。いや、浮腫んでいるんだこれは。世の中には大丈夫なジョークがたくさんある。僕はプライドが高い割に、笑えるイジリは大好きだから、未だに高校時代の彼女でイジる友人や、背が低いことや、顔が(少し)デカいことは別にどれだけ言われても気にならない。むしろ欲しがる。

 

 

 

   話題のお洒落な店でエイヒレみたいなサイズの生ハムにiPhoneXを向けている奴らを見ると、心から笑えてくる。彼らにとって生ハムは芸術作品か何かに変わっているのだろう。まあ確かに色味だけは印象派っぽい。薄いし、混じり合ってるし。ただ僕もギリギリわかる。これを店内で話したら大変なことになるくらい。ただもう言いたくてたまらない。「おい、あいつら騒ぎながらハム撮ってんぞ(笑)」って。我慢できない子供なのだ。そう、それが昨日の出来事だ。僕はそこでなんとなく気づいた。

 

 

 

「身の丈」

 

 

 

   身の丈を知ることこそが「大人検定2級」くらいを通過する条件なのだ。僕みたいな洋服もご飯も興味の無い平均的なサラリーマンは鳥貴族くらいが似合う。そういう僕と変わらないような奴らがあんなお店ではしゃいでるから面白くなるのだ。最近、SNSのせいで僕ら世代の「価値観モノサシ」がバカになっている。誰かがいいと言ってるから、人気だから、そんな理由で何かを買うのも、食べるのも「たまには」いいことかもしれないけれど「イイ」と言ってるのはどうせ芸能人や、インフルエンサーだ。果たしてその価値や味や意味のわかる人がそんなにいるのだろうか。

 

 

 

 

地下室TIMESで紹介されたバンドは全部イイとか言っているほど薄っぺらい。生ハムくらい薄い。

 

 

 

 

 

   世の中は広告や評価やレビューやコラムに溢れている。そいつらは僕らの正確なモノサシを狂わせてくる。そいつらのせいで憧れや、理想や、欲や、嫉妬が生まれる。たまに狂って、たまに背伸びしてもいいけれど、正確なメモリは見失っちゃいけない。そう。

 

 

 

 

身の丈を知らず(測れず)、大人になる方法を見失ってしまうから。

 

 

 

 

   錦糸町着いた。鍋でも作る。

 

 

 

   僕はモノサシを持っているものの、不合格にビビって大人検定を受験していない。だからまだ6級くらいだと言い聞かせながら、好きなことを偉そうに書いている。書く権利を死守している。身の丈にあった記事書けなんて、言うなよな。

 

 

 

 

 

それではまた明日。

 

クソ疲れたな。

 

 

f:id:shoegaze221:20190514232045j:image