×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

取締役

 

あくまで日記だが、長い話になる。

 

 

 

35歳、7個上の東大卒。経歴も外資系金融を転々とし、超ハイスペックな上司がいた。直属のチームではないので上司というよりかは「取締役」という見え方だった。

 

 

2020年7月頃、その人は弊社に中途として入ってきた。私服OKの会社にも関わらず、いつもスーツを着て、角張ったメガネをつけ、片岡愛之助にそっくりな風貌、超ヘビースモーカー。サイコパスインテリヤクザみたいな佇まいに怯んだ。そんなインテリヤクザ取締役と入社数日後に2人で飲みに行くことになった。というか喫煙所で急に話しかけられ「君は面白い。君と真面目な話がしてみたい。」と半ば強制的に拉致された。連れて行かれた先は某高級地区のラウンジみたいなところで、一ミリも真面目な話はしなかった。

 

 

カバンやリュックを持たないのは、飲んで忘れるからという理由だったらしい。初めて飲んだ日、その人はケータイをタクシーに忘れていた。もう何も持たないで欲しい気持ちになった。

 

厳つい風貌とは裏腹に、ジョークも上手ければ、俺みたいな後輩にいじられにいく器のデカさも持っていた。そして何より、ガールズバーが好きだった。一体どれほど連れて行ってもらったか。

 

 

俺はいつからかそんな裏表の無い上司になりたいと思っていた。会社では絶対的な正義として君臨し、不正や不平等を嫌い、誰にも媚びず、常に社長や他の役員と戦っていた。己の為に戦うというよりかは、とにかく社員を守ろうとしていた。誰一人、贔屓をすることもなく。そして毎日、2時、3時まで働いていた。

 

 

弊社の残業時間に関する取り決まりが厳しくなる前、いつも深夜のオフィスには取締役と俺だけだった。決まってタバコに誘い、俺が生意気にも思っていることをたくさん話した。何かを質問すれば120%で返答してくれるスーパーエリートに俺は惚れ込んでいた。そして誰よりも俺を心から誉めてくれて、伸ばしてくれた。モチベーションなんて…と口にする俺に対して取締役本人がやる気を維持してくれていた。まともに部活やスポーツなんかもしていない俺は人生で初めて身近な人への「憧れ」ってのを抱いた。決まって取締役は「いいことあるよ」と言い続けていた。俺はそれを何百回も聞いた。その度、見えない希望に滾った。

 

 

 

そんな取締役が急遽会社を辞めることになった。

 

 

理由はいろいろあるけれど、辞めさせられるに近い話ではあった。詳しいことは書けないし、何が真実かもわからない。昨日の晩、0時頃にケータイが鳴って、ベロベロになった取締役から電話がきた。

 

「今から赤坂で待ってるから。」

 

そもそも最近会社にも一ヶ月以上来ていなかったので、何かあったとは思っていたけれど、辞めるとは思っていなかった。久々にひどく泣いた。彼は謝っていたけれど、謝罪されるのも辛いってのも久々だったし、誰も悪くは無い。少なくとも彼は悪くない。まだ辞めることを知っているのは一部の役員程度だった。それでもド平日に俺を赤坂まで呼びつけ、そんな話をしてくれたことが光栄だ。やっぱり最後まで「男」を感じた。

 

 

俺は会社の中でただ一人のモチベーターを失った。打ちひしがれながら、どうにかして自分を鼓舞しないといけないと思っている。そして戦う先が会社になると、消されることを知った。

 

昨日は四時頃に解散したけれど、取締役は「自分が正しいと思う道を進んで欲しい。」という一言と、いつものメッセージが返ってきた。泣かせる。いつも俺にかけ続けてくれた言葉はきっと自分にも言い聞かせていたんだろうか。

 

間違いないです、我々には必ずいいことがあります。

 

大変お世話になりました。

 

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わかっていない

 

 

切り替え

 

 

 

何か最近嫌なことはありましたか。ありましたか、そうですか。それでも生きているし、きっといいことはあるよ。

 

 

僕も僕にそう言い聞かせてもう何日も経ちながら、何の為の労働かを人間らしく考えてみたりしては、誰かに心配されたりもして、飲んで少しだけ忘れたり、また寝る前に思い出して、みんなと同じような暮らし方をしている。

 

 

じりじりと大人になってきた。気づけば29歳がそこに迫っている。振り返ればもう22歳なんて遠い昔に過ぎ去って、28回目の夏が終わる。

 

 

今、ずっと課員のモチベーションや目標、動き方を考えさせられている。これが部長や昇格するための壁なのかと、現実を突きつけられている。だから引っ越すわけではないけれど、環境を一気に変えようと思った。もっと落ち着く場所に行きたい。久々にゲームもせず、何もせずこんな時間になった。

 

 

 

めちゃくちゃ忙しくて、余計な事すらも浮かばない毎日の方が似合っていた。毎日25時や26時にタクシーで帰って、残業が100時間を超えていた2年前、謎のやる気に満ちていた。きっとそろそろ潮時なのだろう。最後のミッションとして、後輩を育てまくるという使命なのだ。そうしたら辞めよう。円満に辞める。ここまで僕を成長させてくれたし、会社の社員は入社時から5〜6倍の100人くらいになった。俺も少しは貢献した。いや、めちゃくちゃした。

 

 

 

書くことを忘れていた。やはり書いて、整理して、気持ちを入れ替える。どれだけ生きにくくても、何かに怯えながらも、やらなきゃならないと喝を入れる。鞭を入れる。それが俺の思う「大人」であり、できる男はそうなのだ。そういう人をたくさん見てきた。だから、そうあるべきなのだ。

バンドと共に

 

2015年から見失った。

 

 

定期的に訪れるが、好きなことを書く。きっと自己肯定の為に。こういう話、後で読むとサブイボが立つ。もう29歳になるのに。

 

 

 

仕事のせいにして、俺は趣味を追うことを辞めた。

 

 

2015年、FoZZtoneの休止と伴って俺も停止している。きっと社会人になった2016年を境に、何かが死んだ。FoZZtone、胸を張って、人生で一番好きなバンドと言える。ライブなんかもその他バンドは年に1回も行かなかったけれど、FoZZは何公演も通った。嫌われるとわかっていながらも古参ぶりたくなってしまうくらい愛しているのもFoZZtoneだけだ。2009年、中3で出会ったカントリークラブ(アルバム)を聴き続けてきた。このバンドが放つ「自尊心」みたいなものや「歪な輝き」「不器用さ」みたいなものがめちゃくちゃ刺さった。キラキラしてない。リアルだった。それでもどこか本を読んでいるかのような情景描写に魅せられ、愛だの恋だの歌うアーティストは小学生の作文かのように稚拙に見えた。

 

 

 

 

今日、official髭男dismのミックスナッツを聴いた。凄くテクニカルな曲だし、キャッチーだし、タイアップとしても歌詞は天才だった。そして好きだ。同時に、10年後も俺はコレを聴いているとは思えなかった。

 

 

 

カントリークラブを手に入れた当時は16歳、水着グラビアで爆裂に興奮するくらい思春期だった。初めて人と付き合ったくらいの年齢だとしても、そんな記憶は薄れていく。初めて手を繋いだのはいつだろう。そんなことを忘れていく傍ら、カントリークラブはその頃のままそこにある。フラッシュワープという曲のお陰で月が出ていなくても、この曲があれば本当に月が見えた。今も当時も全く同じ月が昼夜関係無く見える。それくらい魔力のある曲だった。俺を拗らせたのもこのアルバムだった。

 

 

 

あれから12〜13年。気づけばFoZZtoneを聴く人が周りに増えた。

 

 

わかる。やっぱり魔力があるんだよ。時代を経ても、そこに思い出補正はなくても、いつか同じくらいワクワクしながら、同じライブを観れたらいいと思う。

 

BUMPやELLEやハイスタには無い「売れない苦悩と現実を詰め込んだ奴ら」ってのが、また少しでも蘇って輝けばいいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

アルコール

 

アルコールは「逃避」

 

ガキの頃は親が「我慢」「忍耐」を教えようとする。先生もそう。逃げる事はよくないことって教わる。確かにあんまいいもんじゃない。わかる。新卒の頃、部屋に風呂もトイレも無い寮で毎日のようにハイボールやらストゼロを飲んでいた。寮に帰っても同僚がリビングでゲームをしたりしているのを横目に、まるで幽霊部員みたいに部屋に戻り、ps4をつけて飲みながらオンラインのゲームをした。1階からはオフラインで聞こえる笑い声をヘッドホンで塞ぎ、コンビニで買った酒を飲み、ある種の「逃避」を覚えた。

 

 

最近また一人で飲む量が増えた。理由はわからない。体調が悪いとどうもメンタル的なものも落ち着かず「もうこのまま仕事辞めちゃおっかな。」なんて思いながら、ぼけーっとアニメを見てる。別にスパイファミリーなんて観たいアニメでもない。共通言語として、教養としてアニメを観ている。

 

 

燃え尽きてしまうことが多い。めちゃくちゃ笑って、めちゃくちゃ遊んで、クソみたいに働いて、誰しもに「社畜」と笑われて、意地で働いているとこういう日がくる。多分俺はコロナじゃない。多分ね。オーバーヒートしちゃっただけ。はしゃぎすぎた子供が熱出すような、そんなのと一緒。無気力になっていくのがわかる。何度も楽しいことがあれば、また辛い日々も乗り越えられるなんてのは戯言であり、抜け殻みたいになってしまった。

 

 

そういう「憂い」とも呼べる何かを流し込む為にきっとアルコールに逃げてるんだと思う。手が震えるってのもネタにしてるけれど、実際どうなのだ。健康診断で肝臓がD判定だったのも、逃げすぎている結果かもしれない。別に不幸自慢とかそういうのじゃない、そもそも俺の周りにあんま幸せなヤツがいない。あんまり興味も無い。俺だけはそれなりに幸せになりたい。それなりに。

来る夏

 

鬱陶しい季節

 

 

査定が終わった。僕の売上成績は他メンバーと比較して一桁ズバ抜けていた。たかが100人程度の社員のこの数字の羅列が、僕の居場所なんだなと思いながら目標の上方修正をした。数字が働きを肯定してくれる。まだ間違ってないと思わせてくれる。自分の余裕が出ると、後輩指導にようやく着手できる。後輩も上司を選べないように、巡り合ったのなら責任を持つしかない。いつ矛先が向くかもわからない、ブチ抜かれる日を期待して、ありったけの時間を注ぐ。数字を共有する。それでいい。いいよね。

 

 

 

PINSが活動休止して、最後のライブアルバムを出した。密かに応援していた。思うように売れなかったのだろうか。ここにもきっと数字が絡んでいる。思えば生まれてから、偏差値やテストの点、いつも数字に僕たちは追われている。数字に肯定されたい。数字に証明されたい。フォロワー数、再生数、登録者、動員数、手取り、数字は事実だ。誰も信用できないなんて話を聞く。元から信じるなんて目に見えない行為は事実も実態もない。100%の信用も30%の信用もない。あるとすれば「1」か「'0」の二進法的な事実だ。自信がない、誰かに自信をつけてほしいなんて僕はクソ甘ったれだと思っていて、結局それらも自分で自分を数字で評価してあげるしかない。それが少しずつ、本当に少しずつ自己肯定感を高めていくキッカケになるのだから。

 

 

 

 

入社した新卒から「昔から売れてたんですか?」なんてことを聞かれた。僕もギターが上手かったり、サッカーの上手い人に昔聞いたことがある。「昔からそんなできてたの?」と。総じて皆「そんなことないよ。」という。謙遜も入りながら100%そう言う。と言うことは、今身近に何かをできている人も、憧れの人も、大体は「もともと一緒」だったのだ。自分と同じラインだったに違いない。こういう当たり前のことが大人になるとわからなくなってくる。「勉強したからできるんだ。」と子供の頃に他人を見るときに納得できていたことが捻くれて「昔からできる人だったのでは?」と直視することを避けるようになる。凄くわかる。でもやっぱりそんなことはない、途方もない挫折と死線を抜けた先に、僅かな結果という期待があるだけで、それを積み上げられるか、できないかの差なのかもしれない。ずっと僕はできなかった。センスや環境のせいにしてきたが、ようやくそれは「認められない弱さ」だと気づいた。なんだか「昔からできたの?」ということが失礼な気がして、今まで聞いてきた先輩や友達に少しだけ後ろめたい気持ちになった。今度からふと思った際には「きっと、めちゃくちゃ努力したんすね!」と、過去を肯定しようと思う。

 

 

 

 

生きています、今のところ。

 

記憶に

もういいかな。

 

 

決してネガティブな話でもなく、もう本当に人生のピークが今くらいなのかな?と思うことが増えた。勿論、今更28歳にして死ぬことを考えているような暗い話ではない。精神的にも大人になった。ただ一方、苦しむことなく「ふと」消え去れるなら、この今のまま終わって欲しいという感覚は日を増して肥大していくばかりで、大好きなバンドが解散を決めるかのように、何かがぷつりと切れてしまう日はあってもおかしくない状況だということを、戒めも含めてここに記す。誰の為に生きるなんてこともなく、最終的には自分のために働き、遊び、生活をするだけなのだ。何をどこで終わらす権利というものも、あってよいのになと思うこの頃である。ね、そうでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

先生の教え

仕事は終わらない。6/2

 

 

 

このご時世、働く場所と仕事そのものがあるのはとても有り難いことではあるが、誰しも「限度」ってものがある。たまに超過した際に、社会人としての器量が試されるわけだが、もはや「人間」としての心の広さや許容範囲を測られているような、そんな気分になる。日に日に溜まる毒物をどのように解毒していくか、希釈させるかを常に模索している。必死で「薄めてくれ。」と何かに縋っている。そうだよね、みんなそうあってくれ。

 

 

 

5年後も同じような働き方ができるか問われると、「いける」と答える自信がない。体は老いる。飲んだ翌日に酒が残るようになったが、もはや分解しきれないのだろう。一回何かが切れたらもうやり直せないのは知っている。飲み込むことは上手くなるが、消化が間に合わない。俺にもTVショッピングで販売されるような高機能ミキサーが欲しい。良くも悪くも砕き切って、何を食べてるかもわからないような、勢いで飲み込めるような代物が。今はもう刃がボロボロなのだ。必死で研磨しながら、細く薄くなったソレを今日も回す。仕事だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

某教職員 6/3 9:41

 

 

 

10年くらい前に仲良くなった教員志望のヤツがいて、たまたま僕と同じ大学に行く予定だったけれど、結局そいつは地元の国立大に通った。中途半端な俺なんかからすれば、むしろそれでよかったんじゃないか?国立大なんて僕なんかより偉く立派なもんだとも思うけれど、本人が僕の大学(某国語教員排出大学)に来たがっていたのは事実だった。

 

それから数年、特に会うことも無いし、連絡も取らなくなった。僕は結局教員なんてすぐ諦めて(知能的に)、中国行きを目指した。ソイツは連絡もしなくなった。

 

 

ついこの間数年ぶりに「木下理樹のいいねでお前が出きたぞw」という連絡を受けた。話を聞くととにかく教員は大変らしい。中学の国語教師をやっているようだけれど、いよいよ休職してしまったと。もう2年も休職していて、戻ることが怖いと。口にしていなかったけれど、きっと悔いていた。なんとなく。誰かに謝りたいんだろうなとも思った。気持ちはわかる。

 

 

 

そして時が経って昨日、誕生日でもないのに連絡が来た。

 

「昨日復帰して、二日間乗り切った。」と。

 

 

偉業だ。2年の間に生徒はもう卒業していたりもするだろうし、先生も変わる。何ならコロナによって生活様式が変わった。記憶と経験は自分だけが2年前。凄まじい。同世代が這い上がっていくのを見ると、本当に皆自分だけと戦っているんだなと思う。敵はどんどんいなくなる、甘えや慢心、飽き、そんなものと毎日戦いながら、鞭打ってやり切るんだろうなと。柄にも無いけれど、久々にポジティブになれた。

 

 

 

 

相変わらず10年前同様、馬鹿にされているが、そんな世界線があったらを考えると楽しい。28歳に対する中二クラブって言葉のパンチ力よ。喜んでる俺も俺で大概なんだけれど。

 

 

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お互いノーガード、プライドだけ携えて頑張ろう。