×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

曖昧な未来

 

 

こんにちは、筒井です。

昼からコーヒーを飲みながら優雅にブログを書いていますが

別にブログで収益を立てているわけではありません。

ちゃんと仕事が終わり、家に着きました。

 

 

『曖昧に』

 

 

 おしゃぶり昆布みたいな薄っぺらい人生観ばかり書いていると、読み直したときに気が変わっていて「何言ってんだ?」ってことがたまにある。そもそも日本語なんて曖昧世界代表言語なのだから、曖昧なブログを書き続けていればいつかそれは何かのタイミングで自分にとってジャストミートする日がくると信じている。曖昧さが芯に当たるタイミングはきっとあるのだ。100発撃てば3発くらいは当たるだろう。

 

 

 曖昧と言えば大学の頃、僕らの学科の生徒(60人ばかり)はそんな曖昧な日本語、というか漢字とゼロ距離で向き合っていた。文学部なんて卒業しても社会に出てから役に立たないと言われる学部の中でも、文学は疎か言語学みたいなことを勉強していた。勉強が忙しくて軽音サークルを諦めるような学科だったことを当時は恨んでいたけれど、今となれば今時珍しい学生生活を過ごせたことに少しだけ感謝しながら、キーボードをポチポチ打ってこれを書く。

 

 

 僕は大学二年生頃まで漢文をひたすら読んでいた。

 読まされていた。

 

 

 出会った人に専攻を説明すると「え?あのレ点とかの?」って大体聞かれた。センター試験ですらも選ばれにくい科目なんだから当然だ。僕らは大学の四年間で何回「レ点」を打ったのだろう。更に「一二点」で返り「上中下点」で返りに返ったのだろうか。実は「上中下点」より更に戻りたくなっちゃった場合「天地人点」というのが存在する。そんだけ返りたいなら来るな、先に行ってくれ。中国語を学んだほうが早いんじゃないかって思いながら僕らは必死で上に返ってた。厳密には古文みたいなものだから現代中国語と違うんだけどね。

 

 

 そんな一歩進んで二歩下がるような漢文を読み続けた結果、下ネタを漢文にすると非常に面白いことに気がついた僕らは、反語表現や打消表現、押韻などの漢文に使われ表現技法使った下ネタを量産しまくり、渋谷の金蔵で死ぬほど笑っていた。男6人くらいが漢文で会話をしている奇妙すぎる光景だ。それくらい使い道のない学問だった。僕にとってはね。今でも思い出すのは「豈ニイカン哉、イヤイク。」のパワーワード感。

 

 

 無駄なことを繰り返しまくった先。

 

 

 社会人になってから、営業職だったため色々なオッサンやオバサンと話す機会もあったけれど、漢文を専攻していた人に出会った試しが無い。だから僕は凄いとかっていう話ではなく、興味を持たれるツールとして営業では役立った。40代とか50代がよく言っている「無駄な経験なんて無い」って本気で思う瞬間が僕にもやってきたのだ。「こんな奴が漢文を四年間読み続けたんだ。狂ってる。」という畏敬の眼差しを僕は浴びたいが為に、話しやすそうな広告担当には自己紹介でグイグイ使ったりしてた。だから契約が貰えるだとかそんなこと勿論無いんだけれど、あまり精通している人がいないからウケはいいってのは確実に感じた。人に覚えてもらうのは難しいですが、漢文を読んでるバンドマンは100人もこの世にいないと思っていたので、いい営業道具になりました。

 

 

 大学で勉強する。

 

 

 大学で勉強をしたほうがいいよみたいな偉そうなこと書けないし、ただ腰振って漢文と中国語読んでたら四年間終わっていた僕ですが何事にも「やっといてよかった。」は多分来るらしい。勉強だけでなくて、嫌な仕事とか習い事とか予備校とかバイトとか全般で。

 

 多分くる。曖昧だけど。

 

 

多分、恐らく、ひょっとしたら、くらいかな。

 

 

 ひょっとしたらくる。

 

 

ひょっとしたら来るものだったら

少し我慢してもいいかなって気分になる。

 

 

 少し、微妙に、ちょっとだけ。

 

 

ひょっとしたら来るもののために

ちょっとだけ我慢をする。

 

 

このくらい曖昧で適当が一番ワクワクするし

素敵だと思いませんか?

 

 

仕事一日目は午前で終わりました。おつかれ。

 

改行が多かったみたいなので、「たぶん」あとで直します。