×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

信用とお仕事

こんばんは、筒井です。

 

 

 

『珍しい』

 

 

珍しいことに出会ったら、どうしますか。

 

 

珍しいことに出会ったら、僕はiPhoneを取り出して写真を撮る。そしてそれをTwitterInstagramにアップをする。ここまで約30秒もかからない。例えば車の上にハトがたくさん止まっていたり、ゴミ捨て場に目を疑うようなものが落ちていたり、少し面白そうなものは珍しいから写真を撮る。なかなか見れない景色に出会ったら、柄にもなく写真を撮ったりする。外回りをしていて、タクシーから見た空に虹が出ていたら「窓・・・開けてみていいですか?」とか言っちゃう。早く赤信号になれよ!って思いながら、iPhoneを外に向けてキョロキョロする。珍しいから撮りたくなる。僕の職場は渋谷の裏のほうにあるのだけれど、やはり芸能人が歩いていたりする。この間なんて、エレカシの宮本がいた。きっと話しかけることができたら、握手をして写真を撮ってもらう。ちょっと肌が綺麗になるような加工をして、SNSに載せちゃう。僕はコース料理とかが嫌いで、好きなものを何回でも頼みたい。でも付き合いだとか、何か特別な日だとかにそういうお店に年に何回か行かなきゃいけないことがある。見たこともないくらい大きくて白いホタテの上に、トリュフとかっていう匂いがメインの黒いチョコチップみたいなのがふりかけのように乗っかっていて、オレンジ色のソースがかかっていたりする。皿の端っこにはハリボくらいの大きさの野菜が乗っていて「選ばれし野菜です。」みたいなオーラを醸していたりする。多分、写真を撮るかもしれない。(生ハム撮ってる奴を以前バカにした記事を書いたけれど)貴重なものこそ、見返すことなんてほとんど無いけれど、写真を撮ったりする。iPhoneのカメラロールなんて、ほとんど見ることがない。僕は撮った写真を消すためにカメラロールを眺める時間のほうがきっと多い。見返していると、結構面白い。それは珍しいことが多いからだ。

 

 

 通学路や通勤で何百回と通った道をいきなり写真に撮ることはなかなかない。そんなものを撮るタイミングは、そこから離れてしばらく、半永久的にどこかへ行くときや、卒業式の日だろう。つまり、日常にありふれてるものなんて、写真に撮らないのだ。僕はInstagram関連の仕事をしながら、色んなインスタグラマーや、素人の写真を見ながらそう思った。もちろん例外もいる。毎日カレーを食べる人はカレーの『記録』として写真を撮っていたりするし、写真が本当に好きな人はそんな珍しいだとかで判断していないと思う。僕にはよくわからない芸術的なセンスが働いて、写真を撮ろう!と撮るのだ。入社して約2ヶ月、色んなアカウントを見てきた。そこで思うのはやはり「珍しい」からアップする人が多いということ。海の無い県に住んでいる人は、沿岸部の人と比べて海の写真の投稿率が人口比できっと高いだろう。何の根拠もないけれど、何となくそんな感じがする。つまり何が言いたいかというと、Instagramのアカウントを見て、アカウントの世界観と真逆を考えるとその人の生活が見えてきたりする。

 

 

 CDや食べ物なんかは、そこの判断が難しい。趣味だから、みんなに見せたいからという承認欲求がそこに生まれるから、常日頃からCDを買う人も、ライブに行く人も、その一枚をアップしていることが多い。前述の通り、それは「記録」パターンだ。例に出したカレーに因んで、カレースタイルとでも名付けようか。カレースタイルの人は熱狂的なファンが多い。アカウントを開いて9枚の画像のうち3〜5枚くらいがそのカテゴリで埋まっている。服だとか、アニメグッズだとか、釣りだとか。そして僕のような「特別体験型」のアカウントは見抜かれやすい。例えば、缶ビールがたくさん写った写真をあげている未成年なんかは、普段からビールなんて飲まないけれど、それを誇示したり、貴重な体験だから写真に収めている。僕はストーリーやTwitterにあげたとしても、Instagramにそんな写真を投稿はしない。別に非日常じゃないからだ。あれから毎日のようにタバコを吸っているが、別にそれもアップしたりはしない。日常に溶け込みすぎているのだ。

 

 

 ここから、猛烈なディスが入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 読んだ本一冊だけをインスタにアップしてる奴、いるよな。あれ、絶対普段は読書なんてしてないぜ。「別にどうだっていいだろ」と言われそうだけれど、明らかに「僕、小説とか読んじゃうんです笑」っていうのが見え見えな人や、喫茶店で片手で表紙を開いてコーヒーと一緒にそれを撮ってる人、僕はとてつもない虚勢のようなものを感じて、引いてしまう。もちろん僕のInstagramを見ていただければ、数年前に本を上げている。確かにその頃、全く読書なんてしなかった頃で、たまたま買った本なんかを載せちゃっているのだ。だから気持ちはよくわかる。自分にとってそれが「非日常体験」になってしまっているのだ。それをあたかも「本は好きですけど何か。」風にね、風にアップしている人が多いの何の。これは特定の誰とかではなく、母数として多い。何故なら僕は毎日死ぬほどアカウントを見ているから。普段から書評とかを書いている人は僕もよく読ませてもらってるし、一冊の本を買うか悩んでいる時、ブログやそういった類の感想を参考にはしている。だが、普段酒飲んで、外でワーワーやって、たまったま、たまったま買った本をアップしている読書家気取りみたいなのに、物凄く腹が立つ。本を読む人が少ない世の中で、そんなとこでマウントを取りたがるのかと。そしてそれがTwitterではなく、Instagramというのが余計に痒い。自分の投稿の世界観を、それで強化しているかのような、そんな気分になる。筒井はいつの間にか、年に数冊しか読まない人になってしまいました。そういえば、一番本に触れていたのは一人も友達がいなかった小学校高学年の頃だったかもしれない。

 

 

 SNSは面白い。その人が何を狙って投稿をするのか、よく考えるようになった。これはもう職業病みたいなものだろう。別に当人に対して「ねえねえ、あれ何で投稿したの?」と聞くほど僕のデリカシーは低くはないが、結局ニヤニヤしながらこんなところで書いてしまう常識の無さは消えない。

 

 

 いや、なんていうかさ、僕らはTwitterInstagramのストーリー投稿にハマりがちで、水のように流れていく情報だからこそ、投稿のハードルが低くなるわけじゃん。でもさ、やっぱりInstagramの通常投稿を使っていこうぜ。そんで、非日常体験を共有しちゃおうぜ。僕もそろそろ空の写真とか花の写真とか、生ハムとか載せちゃうかもしれない。そしたらさ、指さして笑いながら「いいね!」押してよ。僕も「いいね!」返すから。

 

 

それでは、また。