×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

スーベニア

 

昔、僕に友達がいなかったような話を書いた。

また、いつかと同じような記事を書くことになりますね。

全く同じような話を何度もする癖がある。

笑って許してちょうだいよ。

 

 

 

 

今、友達に会いに中目黒へ向かっている。

iPhoneの画面は「再生中」

aikoの「アンドロメダ

 

 

下へスクロールを続けていると「このアーティストを好きな人はこんなのも聴いているよ♪」とAIがオススメするような機能が搭載されている。便利な時代だよね。そこに燦然と現れるスピッツ。そういえば少し前にサブスクが解禁されて、何年かぶりにちゃんとまた聴き出したはずがまたご無沙汰になっていた。

 

 

スピッツはとりわけ僕の中でも暗いイメージが強い。

 

 

小学校5年生くらいの頃、見事なまでに友達がいなかった。友達というか、知り合いもいなかった。知ろうとされなかった。クラス全員から標的にされていたので、机がめちゃくちゃにされていたり、靴が無かったり、帰り際に待ち伏せされてリンチされたり、歳を重ねるごとに狭いコミュニティの「いじめ」は内容の濃さを高め、そういえば自分はもう5年間もまともな友人がいないんだと小学生ながら冷静になっていた。クラスは学年で1クラスしか無いからクラス替えもなく、時代なのか教員も見て見ぬふり状態が続いていた。今出会ったらクラスメイトより先に本気で刺してやりたい。意地でも登校したし、保健室にも逃げなかった自分の六年間って、修業だったんだろう。まあお陰で色々なことを知れたし、今が幸せだからいいんだけれど。もう少し続けると、標的は基本的にリーダー格を除いてローテーションだったが、僕はローテーション+筒井という形で基本的にはハブられていた。今思うと何故無害な僕がと思うけれど、背が小さいから丁度よかったんだろう。多分子どものいじめってそんな理由から始まり、そして加害者たちが引くに引けなくなるのだ。引いた時点で自分に僕の役割が回ってくるから。

 

 

 

そんな今から15年前くらい、スピッツが11枚目のアルバム「スーベニア」を発売した。ベストくらいしか聴いていなかった僕は市内のCD・DVDショップ(ワンダーグー)に向かい、親から貰ったお金で「スーベニア」を買った。曖昧だけれど、ポルノグラフィティの「ネオメロドラマティック」も一緒に買った気がする。あれもいい曲だったね。カップリングの「ROLL」もね。

 

 

 

歌詞解釈なんてものをスピッツでするほど博識でも教養があるわけでもないんだけれど、スーベニアのラストを飾る『みそか』だけは特別すぎて、聴くたびに今も当時を思い出すし、その頃、たった11歳の筒井少年をひたすら鼓舞させていたのは本当にこの曲だけだったという補正みたいなのが蘇って、少し目頭がアツくなる。当時、この曲の歌詞カードを眺めて、何を考えたのかが蘇る。

 

 

思い出の一枚みたいなのはこれからも死ぬほど生まれるだろうし、きっとまた季節や環境や年齢によって、スーベニアを聴いた時の気持ちは少しずつ変わってくる。今は友達だってたくさんいるしさ。それでもあの頃から僕を励まし続けるのがこのアルバムなのは変わらないし、そういう一枚に出会えたのはなんだか嬉しい。

 

 

と、毒の無い日記になってしまった。

一言言うのであれば、あの時のクラスメイト全員を許そうとは思わないし、地獄に落ちろと思い続けながら15年が経ちました。

 

野口と松尾の待つ中目黒に丁度着きました。

それでは。