×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

おじさん

おじさんになったなあと感じる。

 

 

18歳くらいの頃、僕は友人に「ブラックコーヒー飲んでる男はカッコつけてるだけ。」「タバコなんて死んでも吸わない。」「お酒が趣味ってのはダサい。」などと今とは違った角度の尖り方をしており、既に当時大人な考えを持っていた友人たちから「頑固だな〜」と笑われていたのを思い出した。特に高校時代最も同じ時間を過ごした「木内くん」はブラックコーヒーをよく飲んでおり、今彼の前でタバコを吸いながらコーヒーを飲む自分を木内くんは「ダセェなあ!!!!」と思っているだろう。たまに。当時の僕がなぜ「ブラックコーヒーを飲む男」がカッコつけていると定義したかというのは結局、僕自身が当時ブラックコーヒーを飲めないという「どこか飲めないことがダサく感じる気持ち」の現れだったんだろう。今となってはすべてがひっくり返り「ブラックコーヒーを休憩中に飲み、タバコを吸い、仕事が終われば飲みに行く」という僕の想像していた「大人」ができあがった。蓋を開ければ当時の憧れに近づいたと言えるが、そんなに大層なものでもない。

 

 

若者向けのコンテンツや広告を扱うことが増えてきている中で、今の18歳は調べ物を「Google」ではなく「Instagram」で検索することや、zoomでお酒を飲むわけでもなくただオンラインゲーム(どうぶつの森など)を夜更けまでワイワイやっていることが、僕の経験で知ることがなく、誰かから教わるようになった。これはきっと自分の周りも一緒に歳を取っているから、相変わらず僕は食べログで居酒屋を探してしまうけれど、今の若い人はInstagramで「#渋谷居酒屋」と検索することに気づかない。そしてそれを知った時に、どうも受け容れ難いのだ。「本当にそんなんでちゃんと場所とか出てくんの?」という意味不明な角度から疑ってしまう。これはきっと、おじさんの前兆だ。

 

 

ここで言う「おじさん」とは、新しいものを頑なに拒み、例えそれが面倒なことであっても自分のやりかたを貫くという意味合いの「おじさん」だ。どこにいてもこの「おじさん」はいる。「04 limited sazabys」を聴けば「ELLEGARDEN」の方がいいと認めず、「サッカー日本代表戦」を観れば「中澤と中村がいれば…」と憂い、「ニンテンドースイッチ」をやれば「ファミコン」が単純でわかり易いと吐き捨てるのだ。「おじさん」は新しいモノについていけない。自分のアップデートが世の中に追いついていかないことに気づかず、知っているもので壁を作り出すのだ。

 

 

高校時代の僕は大人になれないことに引目を感じて、無理矢理自分が正しいと言い聞かせながらも、今はおじさんになることにも引目を感じて、懲りずに今のままがいいと言い聞かせている。なんと学習しない男なんだろうか。誰かにガッカリされるようなことはそんなに無いと思うけれど、このままいくとTwitterで「なんか毎日変わらなくて、つまんないな。」とか投稿する「本当に"ヤバイ"おじさん」になるのだろう。変化を恐れるものの、日常に刺激を求める無意識おじさんはきっと誰の心にも棲んでいる。棲んでいると思いたい。僕だけじゃないはずだ。

 

 

ただ、そんなおじさんの出番は今の時期にとっても相応しくない。もう少しそのおじさんにはあと数年ベンチを温めてもらって、現役として今の流行りにまんまと素直に乗っていきたい。それが正しいとか間違っているとかではなく、それが「楽しい」のは確かだ。こうやってまた同じように「流行りに乗るぞ♪」と宣言してる時点で十分取り残されているのだけれど、化石になるまでにはまだ早すぎる。まだ、発掘者でいたい。

 

 

正直、zoom飲み会に抵抗があったけれど、楽しかった。

 

 

また一つ、若返ったような気分です。