×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

七月

21歳くらいの頃、ブログを立ち上げて書きたいことをずっと書いてきました。

 

 文章能力がそれほど長けているわけでもないながら、既に何百記事も溜まっている。ここには僕がその時思っていた日々の不満や社会全体に関するコト、友人との思い出が何年分と積み重ねっていて、見返すことは全く無いけれど大事な場所として管理している。そういう場所が自分にあるというちょっとした自負みたいなものがある。何にも活用できていないけれど、安心材料だ。

 

 

 先日、会社の採用ページにインタビューが載るからと取材があった。 

 

 人生で初めてカメラマンに写真を撮られて、プロのインタビュアーから1時間程度の質疑応答を設けられた。あまり予想していなかった質問も多く、それでも答えに困るとインタビュアーは僕の思い出みたいなところにスルッと入ってきて、答えになりそうなエピソードを思い出させるという技を持っていて、モテる男はこういう話の進め方をするんだなとちょっと勉強になった。気持ちよく話すというのはこういうことなのかと。プロの口車に乗せられて、やや調子づいたコトを答えていった。いくら会社のこととは言え、あまり綺麗事ばかり話してもよくある採用ページになってしまいそうで、ある程度本音で答えたりもした。さすがに毎日26時まで働いてるような話はできなかったけれどね。

 

 インタビュアーは思い出をザクザク掘り返すような質問を手際よく僕に寄越しては、僕の話はレコーダーに吸い取られて、インタビュアーの右手で僕の考え方みたいなものも白紙にまとめられていった。インタビューも終盤に差し掛かり、今後(未来)の話になった。

 

「この先、どうなりたいですか?」

 

これには困った。

 

世の中の誰もが1年後や5年後の自分を考えているかのような質問だったけれど、僕はあまりそういうのを考えたくない。またこんな風に書くと「拗れてるなあ!」と言われてしまう・・・。

 

 

でもどうだろう、本当にみんな先のコトを考えて今日も明日も生きているのだろうか。

 

 僕がギリギリで卒業した大学は文学部で、中国文学と中国語をひたすらに研究させられていた。正直当時は中国現代文学くらいにしか興味は無く(ゼミもそうでした)、中国古典は苦手(キライ)だった。そんな中、僕の好きな教授のうち一人が研究している分野は(簡単に書くと)努力しても世の中に認められなかった人たちの悲痛な思いをまとめたような古典文学で、今から約2000年以上も前の時代の話。とりわけそこから僕が何を学んだわけでもなく、その学問との出会いが何か人生のターニングポイントになっているわけでもない。

 

そんな教授が大学の卒業式に送った言葉は「一喜一憂しない生き方をしなさい。」だった。

 

 当時はピンとこなかったけれど、なんとなく今はわかる。そして何十年もそれを研究していた人がそう云うのだから、きっと正しくもあるんだろう。ここ二年くらいで「達観」することだとか「諦念」することを覚えた。

 

 あまりに25歳からの浮き沈みが激しすぎて、悟りを開いたようなことは言いたくないけれど、いよいよ自分がそれなりに大成するような未来も見えなくなってきて、現実と向き合うようになったような感覚がある。昔は何だかいつの間にかお金を稼いで、出世して、結婚して、まともな家族を持つみたいな「期待」がどこかにあったけれど、27歳を控えた今、そんなものはない。あるかもしれない、あるかもしれないけれど、見えていない。だからモチベーションみたいなものも無い。そもそもモチベーションなんて数値でも測れないし、仕事にやる気なんていらない。ひたすらやるべきことを丁寧に、オリジナルに仕上げるだけ。やらなきゃいけないことにやる気がいらないことも最近覚えた。ふと思うけれど、朝起きて「会社行きたくねえな」ということがなくなった。雨だから行きたくないことはあるけれど、不思議と会社が嫌ではない。

 

話が脱線してしまった。

 

期待とかをしないようにすると、先のことがあんまり見えなくなる。

 

 経営者のインタビューとかを見ていると「◯年後のビジョンがー」とキラキラ言うが、僕が前職を辞めるタイミングなんて僕も予測していなかったし、今の会社に入ることも予測していなかった。数年後のビジョンなんてものを作ってしまって、いつまでもそこから逃れられずに、あくせくするような生き方が相応しくない。どんな回り道や苦労をしてまで成し遂げたい野望というものが僕は無い。ただ同世代より仕事をして、お金をもらい、土日は友達と笑うビジョン。こんなのインタビューで語れるはずもない。ほら、アントニオ猪木も言ってた。「行けばわかるさ」みたいな、本当にそれ。

 

ある意味、ただ進むしかない。ただ、やるしかない。「進む」ことができるという期待。

 

 

世の中のほとんどの人が、なりたいものになれず、やりたいことはできない状況にあると思う。この歳になると現実と向き合い準備をしなきゃいけない。昔はプロ野球選手やケーキ屋さんになりたかった同級生も今じゃスーツを着てよくわらない会社にいたりする。僕もそう。そんな一般人の僕らがこれからのビジョンなんて考えられるはずもない。

 

数年先なんてきっと考えなくていい。ただ、生きているだけで前に進んでいる事実がある。こうやって書きながら僕も筒井自身を鼓舞しているような感覚に襲われてきた。でもきっとそう。未来が見えないというより、眩しくて見えないくらい余裕を持って言いたい。

 

 

 

 

もう数年すれば、宗教でも開けそうな気がする。

 

 

こんな楽な生き方は無い。

 

どこまでも期待無く、事実だけを楽しんで生きたい。

 

 

 と、夏が来たのでこの曲を聴いて思ったところでした。

https://www.youtube.com/watch?v=EC0BvUaD_Rk