×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

新社会人へpart.1

久々に、誰かに向けてブログをPCで書く

 

 

 

思えば自分が転職をして三年目に突入し、知らず識らずのうちに僕は社会人6年目に突入した。

 

文系の大学を卒業し、特にやりたいこともそんなに無いまま、口達者なことだけが功を奏してまあまあ知名度のある会社に入り、人ではないような扱いを受けながらもそれなりな成績を残した。得たものと言えば、無駄な自信くらいだ。そこでは結局上司との折り合いが付かず、今の会社に有り難いことに誘われて転職をしてきた。つまり、新卒で三年、今の会社で三年になる。早いものだ。

 

もうそろそろ僕から世の中の若い人たち(18歳-22歳)に「やっておいた方がいいこと」とかを語ってもいい歳頃じゃないだろうか。世の中は成功事例で溢れている。そんな意識の高い本やインタビューを読んでも、そうはなれない人がたくさんいる。世の中を斜めに見て、それでも真っ直ぐなフリをして生きていかなきゃいけない人にこれを書く。まとも生きていけない人は、歳を取るごとにそれが恥ずかしくなる。自分がまともじゃないことがステータスではなく、個性なんか消されて、社会という一色に染まるような努力が必要になる。個性なんてほとんど必要とされていない。社会に於いて、それ(個性)なんてものは邪魔なだけだ。勿論、クリエイティブな世界やフリーランスは必要かもしれない。でもそれでも、何かに帰属しないと生きてはいけない。そんわけで「○○をしておいたほうがいい」なんてコトは僕からは言えず、どういう判断をしてきて間違ったかをこれを読んだあなたに紹介したい。

 

 

・会社は何年で辞めるべきなのか

 

もう会社を辞めたい新卒の人がいると思う。僕も三週間くらいで辞めたくなった。でもきっと辞められないんだろう。わかる。辞めたあとが怖い。自分が一生懸命採用活動をして、拾ってもらった場所から逃げるのは怖い。僕も何なら1週間くらいで「僕には合わない世界だな。」と思った。700人程の新卒を採用する意味は会社の売上が上がっていたからだけではない。それだけ辞めていく人たちがいた。掬った手から溢れる人たちがGWか終わってから出てきた。溢れるというか、自ら抜けていく「負け組」のように見えた。まずその時期に1ヶ月程度で辞めた人たちが2021年の今何をしているか、僕の周りの状況だけを話すと「あまり成功していない」というのが答えである。別にそれでスゴイことになっている人もいるが、決して多くはない。大学を数ヶ月で辞めた人が数年後に「辞めなきゃよかった」と言っている声があるように、そんな状況だ。

 

結局「会社は三年までいなさい」という謎の呪縛を僕は守った人間であった。誰に言われるでもなく、そんな噂をちゃんと信じて、2年半くらい頑張った後に適応障害みたいになって、あんなん仮病だと言う声もあるだろうけれど、三年目に突入して僕は辞めた。ぶっ壊れるまで働いて何が残ったかと言うと「もう僕にやれることはないな。」という謎の達成感はあった。きっとこれは1年目の5月で辞めていたら思わなかっただろう。だからといって三年間やった方がいいとは思わない。地獄みたいな職場はたくさんある。大事なのは「もうやれることはないな。」という自分への妥協と自信がついた時、もう残る意味は無いんだと思う。

 

 
・誰にでもいい顔をする必要があるのか

 

 

僕は仕事上付き合う人に関しては、誰にでもいい顔をするようにしていた。会社に出ると「面倒な人」「空気が読めない人」「むちゃくちゃな人」たくさんいる。モンスターハンターみたいな世界に放り込まれて、いずれ自分もモンスターになっているかもしれない。僕は新卒から誰にでもいい顔をしてきた。結果これは自分を苦しめる要因となった。嫌いな上司や先輩に休日誘われても断りにくかったり、無駄にしてしまったり、時間を奪われることに人一倍憎しみが強いのか、大きく心の負担となった。今の会社は入社してから昼飯は9割デスクで食べるし、誰とも食べてはいない。客にも怒るし、社内の人間にも厳しくしたりする。本来の僕が発揮されているようで、これはこれで気持ちはいい。ただ、僕を嫌う人もいるのは間違いない。きっと僕は今の会社にモンスター入社したのだ。

 

では結果、自分が上司や同僚に対してどういうスタンスでいくのかというと「誰でもいい顔」は強い。誰でもいい顔をしている人の特典は、その会社のあらゆる情報が入ってくる。きっと会社で仲良くすべき人や、裏で手を回している人、実はあんまり好かれていない人、ちっさい世界なのにそんなバランスが見えてくる。その後はもう、そのままペテン師として生きていくか、モンスターになるかは選択の自由だ。僕は数年後、その会社でモンスターになることをオススメする。いつまでも嫌いな人に飼いならされるなんて、ごめんだ。

 

 

 

やりたくないけど給料が高い仕事と、やりたいけど給料が低い仕事について

 

 

一概にどちらがいいという話ではないので、これも経験談になる。僕含めて、僕の友達にも「やりたいこと」「やりたくないこと」どちらも経験している人が何人かいる。何人かいるが、最終的に皆「あんまやりたくないこと」を選んで、満足そうにしている人が多い。「やりたいこと」をやり続けているものの、僕くらいの年齢だとまだまだそれはきっと夢の途中で、苦労している人が多い。そしてその苦労とは悲しいことに大体「カネ」だ。

 

新卒くらいの頃、僕は大学時代もそんなにバイトをしていなかったので急に数十万が入ってくるってことが珍しくて、嬉しくて仕方なかった。結局そのお金を後輩の女の子を飲みに誘うという非常になんというか、泡のような使い方に消えていった。何なら男子8人くらいで夜のお店に行き、全く稼いで無いのに自分が出すと豪語していた時もあった。思い出をカネで買ったと思えば安いものだが、+100-200万くらいは貯金できたのではないかと悲しくなることもある。

 

僕は多分人よりお金への執着が強い。いいことでもあるし、きっと悪いことでもある。幸せはお金では買えないらしいけれど、お金があると幸せになれる確率が上がる。いつまでも「お金が無くても、今はやりたいことがやれているから幸せ」なんて言ってられない。その幸せはいつになったら「カネ」になるのかを考える日がきっとくる。そんなのはとても恐ろしい。カネカネカネ。別にお金持ちではないし、実家も裕福ではないけれど、自分がこれだけ働いても心がギリギリ保たれている理由は「それ相応のカネ」が入るという期待だろう。「カネ」は自分の馬力を少しだけアップしてくれる課金アイテムなのだ。まあ課金、うん。変な話だ。だから個人的に「やりたくない」けれど「その他幸せ」を得るためにお金を選ぶのは間違っていないと思う。きっと僕らの親父も、母ちゃんも、やりたいことだけをやってきたわけじゃないんだから。

 

 

アツくなって、たくさん書いてしまった。たまにはコメントでもしてあげてください。

引用RTもしてあげてください。僕が喜びます。

 

 

それではまた。