「休」
もうスマートフォンを持ちながら寝そうになっている、0:58。会社の大好きな先輩からお昼頃不意に「筒井さんは仕事に飽きたりしないの?閉塞的な気持ちにならないの?」と聞かれた。どうやら話を聞くと周りにそんな燃え尽きてしまった人がいるらしい。
燃え尽きることができるなんて素敵だ。よほどハードルが低いんじゃないかと頭をふとよぎったけれど、きっとそんなことはない。見知らぬ人の話なのに失礼すぎる。いやいや、本当に燃え尽きてしまったのかもしれない。オリンピック開催中に一般人が燃え尽きるなんておかしな話だ。でも僕もなんとなく知っている気がする。こういう気持ちは一度芽吹くと刈っても刈ってもスキを見て生えてきやがる。家の裏、室外機近くに咲くドクダミみたいに繁殖を続けて、飲み込んでくる。蝕んでくる。知らずして自分も日陰で咲くようになる。
仕事なんて人生のメインミッションじゃない。健康で文化的な最低限の生活を送る為に時間を使う人生の番外編クエストのようなもので、それはサブミッションであって、仕事をする為に生まれてくる人なんていない。ただただそれをすれば、よりよい生活や欲しいものが手に入るというミッションなのだ。言わばこの世界なんてスマホゲーと一緒で、コツコツ「魔法石」みたいなものを色々なクエストをやりながら卒なくこなしていくしかない。ゲームに飽きることだってある、それなら仕事を変えればいい。ジョブチェンジをすればいい。大事なことはドラゴンクエストが教えてくれた。僕らが自我を持ち始めて、将来の夢を考えるようになり、いよいよ高校生くらいから考え出す「普通の生活が送れればいい。」なんてものも、もう稀になってしまった。
-ここで寝落ちしていた。朝になった。バスに乗る。-
僕は休日に笑える日が送れればそれでいい。そのためにお金を貯めたり、仕事をしたりして、いかに笑いの為にお金を使えるかが僕のメインミッションだ。
僕たちはいい歳になって、何をすれば自分が楽しいかを知っている。ただただスタバでコーヒーを飲む、カラオケに一人で行くことなのか、CDを買うことなのか。稀に趣味も無く、休日は特に好きでもなくなんとなく寝ているだけという人に出会うことがある。よほど人生を怠慢してきたのか、自分が何に楽しいと思えるのかを忘れてしまっていたり、見つけてこなかった人は案外多い。きっと今からでも探すのは遅くない。探せない人はご一報ください。筒井、ご一緒させていただきます。
「バス」
いつもバスで世田谷から渋谷に向かう。今もそうだ。毎日同じ道を通っているにも関わらず「この人いつも乗ってくるな。」という人がいない。毎回ご新規のお客さんが乗り込んでいるなんてことは絶対ありえないのだけれど、電車通勤の頃のような「3号車のこの人、いつもここ座ってるな。」というあの一方的な親近感が無い。
独我論的な話になってくる。
Twitterを見ていると同い年くらいの人たちがみんな励まし合いながら仕事を続けている。バイトも、学校も続けている。距離を隔てた関係性がこんなにも上手くいき、知れば知るほど破綻も見えてくるのであれば、大多数とはTwitterのような付き合い方を続けていきたいものだ。そこにその人が存在しているか、していないかなどはどうでもよく、同じような歳や、境遇や、共通の趣味を持った人が「いるかもしれない」という安心感が大事なのだ。