×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

何になればいいのか

ちょっとした違和感を記録として残す。

だいぶ散らかってる感じになりそう。

 

 

学校なるものを卒業し、自分が何者か分からないまま社会の中で答えを探してきた。探してきたのではない、強制的に捜索させられてきた。それでも「私とは何か」に特段興味がないまま8年目くらい経ったある日、一つの答えが出た。それは後述する。答えというか、類似例。

 

 

そもそも本当に若い人たちは「自分とは?」なんてそんな哲学的な疑問を抱いているのだろうか。きっと大人たちが「何者かになるんだぞ。」という見えないミッションを課しているだけで、アイデンティティなんていらないのが真実なんじゃない。いや、大人にも直接言われたことはない。ただなんとなくぼんやりと「何かにならないとまずい」と社会全体の空気があるんだろう。まあでも、探せって言われてるから探さないとね。転職活動とかで「あなたはどんな人ですか?」とか聞かれるし。あんなどうでもいい質問、悟り開いてるかどうかのチェックしてんのかと思うけどね。

 

 

 

 

大人は懐かしさに勝てない。クレヨンしんちゃんの映画が教えてくれた。過去に戻りたい気持ちを殺して、子供や何かに未来を託していくことに「自分である理由」を。もっというと自分の子供に「自分であること」を感じる。なんかこれは分かる。人間らしさがある。子供いねえけど。

 

 

 

何者かを証明する「思い出」

 

俺が8年間くらい思い出作りに理由もなく固執し続けた理由が今日見つかった。俺は多分何者になれないという未来に無意識でめちゃくちゃビビってたんだと思う。未来の自分に期待はできない、今自分が何者であるかという証明や自信はない。ただ過去の自分がどうであったかという軌跡こそが俺を俺たらしめ、肌身離さず「俺はこういう人間です。」という経典を持ち歩くようになった。21歳頃からこの経典作りを無意識で作っていた。おっさんになった今、私が何者かを確かめるすべてがここにある。そうか、そういうことだったのか。俺はそんな「何者」になりたがる人たちを嗤いながら、結果自分は無敵の城を作ろうと必死になっていたわけだ。

 

 

 

俺ら日本人は唯一神みたいな考え方は持たないし、多神論だし、何なら便所にも神様がいることを当然に受け入れる超多様性民族なんだから自分らしさや、そいつの思い出が何だろうと超肯定しながら生きていきたい。中途採用の面接も担当するようになった今、俺は思い出を問う厄介な面接官になりかけている。