×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

きっかけの損失

 

また友人が結婚した。おめでとう。

 

 

そんな奴の報告を聞くと、もっと仲良くしておけばよかったな。と繰り返し思うことが増えた。

 

夜行バスでもいいから新潟や大阪や福岡に行って、限りなく思い出を作るべきだった。ここを見てる人も、俺も、10年後には大半が30代〜40代になっている。もうきっとその頃には俺も皆を忘れてるし、俺も忘れ去られ、それぞれが今からでは想像もつかない未来を生きてる。あれだけ仲の良かった友人も遊ばなくなり、都内に住んでいても互いに距離を作り、疎遠となっていく。なぜ会わなくなったのか、理由がわからない。ただなんとなく、なのだ。

 

 

今が一番楽しいんだよな、と今も思っている。

 

 

10年前も思っていたし、去年も思っていた。今日も思っている。お金や時間を犠牲にしても、思い出を作らないといけない。2016年頃から同じことを書いている。思い出作りに生きるのだ。

 

 

 

無風

 

疲れすぎて、なにも考えられない日が続く。

 

 

今年、俺は思い出作りの為にエッセイを出すつもりだった。なかなか叶いそうに無い。パソコンに向かって、好きなことを書く時間もどうも作る気力が無くなった。引越してどうだろう。畳に円卓を置いて、胡座を掻きながらシャーペンでも握るのだろうか。時間は無限にあるようで、その文字の如く刻々と過ぎていく。今日はもう明日になる。「今」は1秒もない。続けられないことも増えた。「やらない」「やれない」が増殖を続ける。

 

 

 東北に住んでる教員の友人から連絡が来た。どうやら社会復帰を完全に果たして、給料も出ない部活なんかにも顔を出して奮闘しているらしい。張り切りすぎだろって笑いそうだったけれど、本人が楽しいのならそれでいいな。もう暫く、もしかしたら二度と飲むことも無いかもしれないけれど、しっかり応援したい。這い上がる強さは誰もが持ってるもんじゃない。そういう人と自分を重ねて、俺も頑張れている。

 

この今も無駄じゃないと思いながら、コツコツと乗り越えていく。今日も、何千回目の言い聞かせをする。ただただ、風待ち。

 

 

今朝、夏が終わった。

 

まだ、夏が顔を出す予兆はある。

 

 

秋が来るのと同時に引っ越しをした。思えば社会人になり、南行徳、錦糸町西船橋錦糸町、深沢と5軒も渡り歩いている。一回40〜50万飛んでいるとしても200万程度を家に捨ててきたのか。。。

 

でもきっと200万以上の体験をした。そう思わないと少しばかり勿体ない気持ちが寄ってくる。全ては思い出に回帰していくのだから、どんな浪費も、行動も、発言も、後悔は無い。

 

次は東中野駅となる。新宿まで確か二駅。渋谷までも20分。何と言っても家の周りにちゃんとお店もあれば、駅までも7分くらいなので、今より少しだけ住みやすくなるんじゃないかな。

 

今の家具がやたらデザイナーズ向け?コンクリ向け?っぽい揃え方をしていたので、新居のレイアウトがあべこべになりそうでビビってます。引き続き、鎌とガスコンロを求めてリサイクルショップを周ります。おばあちゃん家にある謎の花柄のコップとか、欲しいです。

 

そんな現状報告でした。涼しくなり、9月は意味もなく感情的になりがちです。弱ったら飲んで、忘れていきましょう。

 

元気です、渋谷駅に着きました。仕事です。

取締役

 

あくまで日記だが、長い話になる。

 

 

 

35歳、7個上の東大卒。経歴も外資系金融を転々とし、超ハイスペックな上司がいた。直属のチームではないので上司というよりかは「取締役」という見え方だった。

 

 

2020年7月頃、その人は弊社に中途として入ってきた。私服OKの会社にも関わらず、いつもスーツを着て、角張ったメガネをつけ、片岡愛之助にそっくりな風貌、超ヘビースモーカー。サイコパスインテリヤクザみたいな佇まいに怯んだ。そんなインテリヤクザ取締役と入社数日後に2人で飲みに行くことになった。というか喫煙所で急に話しかけられ「君は面白い。君と真面目な話がしてみたい。」と半ば強制的に拉致された。連れて行かれた先は某高級地区のラウンジみたいなところで、一ミリも真面目な話はしなかった。

 

 

カバンやリュックを持たないのは、飲んで忘れるからという理由だったらしい。初めて飲んだ日、その人はケータイをタクシーに忘れていた。もう何も持たないで欲しい気持ちになった。

 

厳つい風貌とは裏腹に、ジョークも上手ければ、俺みたいな後輩にいじられにいく器のデカさも持っていた。そして何より、ガールズバーが好きだった。一体どれほど連れて行ってもらったか。

 

 

俺はいつからかそんな裏表の無い上司になりたいと思っていた。会社では絶対的な正義として君臨し、不正や不平等を嫌い、誰にも媚びず、常に社長や他の役員と戦っていた。己の為に戦うというよりかは、とにかく社員を守ろうとしていた。誰一人、贔屓をすることもなく。そして毎日、2時、3時まで働いていた。

 

 

弊社の残業時間に関する取り決まりが厳しくなる前、いつも深夜のオフィスには取締役と俺だけだった。決まってタバコに誘い、俺が生意気にも思っていることをたくさん話した。何かを質問すれば120%で返答してくれるスーパーエリートに俺は惚れ込んでいた。そして誰よりも俺を心から誉めてくれて、伸ばしてくれた。モチベーションなんて…と口にする俺に対して取締役本人がやる気を維持してくれていた。まともに部活やスポーツなんかもしていない俺は人生で初めて身近な人への「憧れ」ってのを抱いた。決まって取締役は「いいことあるよ」と言い続けていた。俺はそれを何百回も聞いた。その度、見えない希望に滾った。

 

 

 

そんな取締役が急遽会社を辞めることになった。

 

 

理由はいろいろあるけれど、辞めさせられるに近い話ではあった。詳しいことは書けないし、何が真実かもわからない。昨日の晩、0時頃にケータイが鳴って、ベロベロになった取締役から電話がきた。

 

「今から赤坂で待ってるから。」

 

そもそも最近会社にも一ヶ月以上来ていなかったので、何かあったとは思っていたけれど、辞めるとは思っていなかった。久々にひどく泣いた。彼は謝っていたけれど、謝罪されるのも辛いってのも久々だったし、誰も悪くは無い。少なくとも彼は悪くない。まだ辞めることを知っているのは一部の役員程度だった。それでもド平日に俺を赤坂まで呼びつけ、そんな話をしてくれたことが光栄だ。やっぱり最後まで「男」を感じた。

 

 

俺は会社の中でただ一人のモチベーターを失った。打ちひしがれながら、どうにかして自分を鼓舞しないといけないと思っている。そして戦う先が会社になると、消されることを知った。

 

昨日は四時頃に解散したけれど、取締役は「自分が正しいと思う道を進んで欲しい。」という一言と、いつものメッセージが返ってきた。泣かせる。いつも俺にかけ続けてくれた言葉はきっと自分にも言い聞かせていたんだろうか。

 

間違いないです、我々には必ずいいことがあります。

 

大変お世話になりました。

 

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わかっていない

 

 

切り替え

 

 

 

何か最近嫌なことはありましたか。ありましたか、そうですか。それでも生きているし、きっといいことはあるよ。

 

 

僕も僕にそう言い聞かせてもう何日も経ちながら、何の為の労働かを人間らしく考えてみたりしては、誰かに心配されたりもして、飲んで少しだけ忘れたり、また寝る前に思い出して、みんなと同じような暮らし方をしている。

 

 

じりじりと大人になってきた。気づけば29歳がそこに迫っている。振り返ればもう22歳なんて遠い昔に過ぎ去って、28回目の夏が終わる。

 

 

今、ずっと課員のモチベーションや目標、動き方を考えさせられている。これが部長や昇格するための壁なのかと、現実を突きつけられている。だから引っ越すわけではないけれど、環境を一気に変えようと思った。もっと落ち着く場所に行きたい。久々にゲームもせず、何もせずこんな時間になった。

 

 

 

めちゃくちゃ忙しくて、余計な事すらも浮かばない毎日の方が似合っていた。毎日25時や26時にタクシーで帰って、残業が100時間を超えていた2年前、謎のやる気に満ちていた。きっとそろそろ潮時なのだろう。最後のミッションとして、後輩を育てまくるという使命なのだ。そうしたら辞めよう。円満に辞める。ここまで僕を成長させてくれたし、会社の社員は入社時から5〜6倍の100人くらいになった。俺も少しは貢献した。いや、めちゃくちゃした。

 

 

 

書くことを忘れていた。やはり書いて、整理して、気持ちを入れ替える。どれだけ生きにくくても、何かに怯えながらも、やらなきゃならないと喝を入れる。鞭を入れる。それが俺の思う「大人」であり、できる男はそうなのだ。そういう人をたくさん見てきた。だから、そうあるべきなのだ。

バンドと共に

 

2015年から見失った。

 

 

定期的に訪れるが、好きなことを書く。きっと自己肯定の為に。こういう話、後で読むとサブイボが立つ。もう29歳になるのに。

 

 

 

仕事のせいにして、俺は趣味を追うことを辞めた。

 

 

2015年、FoZZtoneの休止と伴って俺も停止している。きっと社会人になった2016年を境に、何かが死んだ。FoZZtone、胸を張って、人生で一番好きなバンドと言える。ライブなんかもその他バンドは年に1回も行かなかったけれど、FoZZは何公演も通った。嫌われるとわかっていながらも古参ぶりたくなってしまうくらい愛しているのもFoZZtoneだけだ。2009年、中3で出会ったカントリークラブ(アルバム)を聴き続けてきた。このバンドが放つ「自尊心」みたいなものや「歪な輝き」「不器用さ」みたいなものがめちゃくちゃ刺さった。キラキラしてない。リアルだった。それでもどこか本を読んでいるかのような情景描写に魅せられ、愛だの恋だの歌うアーティストは小学生の作文かのように稚拙に見えた。

 

 

 

 

今日、official髭男dismのミックスナッツを聴いた。凄くテクニカルな曲だし、キャッチーだし、タイアップとしても歌詞は天才だった。そして好きだ。同時に、10年後も俺はコレを聴いているとは思えなかった。

 

 

 

カントリークラブを手に入れた当時は16歳、水着グラビアで爆裂に興奮するくらい思春期だった。初めて人と付き合ったくらいの年齢だとしても、そんな記憶は薄れていく。初めて手を繋いだのはいつだろう。そんなことを忘れていく傍ら、カントリークラブはその頃のままそこにある。フラッシュワープという曲のお陰で月が出ていなくても、この曲があれば本当に月が見えた。今も当時も全く同じ月が昼夜関係無く見える。それくらい魔力のある曲だった。俺を拗らせたのもこのアルバムだった。

 

 

 

あれから12〜13年。気づけばFoZZtoneを聴く人が周りに増えた。

 

 

わかる。やっぱり魔力があるんだよ。時代を経ても、そこに思い出補正はなくても、いつか同じくらいワクワクしながら、同じライブを観れたらいいと思う。

 

BUMPやELLEやハイスタには無い「売れない苦悩と現実を詰め込んだ奴ら」ってのが、また少しでも蘇って輝けばいいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

アルコール

 

アルコールは「逃避」

 

ガキの頃は親が「我慢」「忍耐」を教えようとする。先生もそう。逃げる事はよくないことって教わる。確かにあんまいいもんじゃない。わかる。新卒の頃、部屋に風呂もトイレも無い寮で毎日のようにハイボールやらストゼロを飲んでいた。寮に帰っても同僚がリビングでゲームをしたりしているのを横目に、まるで幽霊部員みたいに部屋に戻り、ps4をつけて飲みながらオンラインのゲームをした。1階からはオフラインで聞こえる笑い声をヘッドホンで塞ぎ、コンビニで買った酒を飲み、ある種の「逃避」を覚えた。

 

 

最近また一人で飲む量が増えた。理由はわからない。体調が悪いとどうもメンタル的なものも落ち着かず「もうこのまま仕事辞めちゃおっかな。」なんて思いながら、ぼけーっとアニメを見てる。別にスパイファミリーなんて観たいアニメでもない。共通言語として、教養としてアニメを観ている。

 

 

燃え尽きてしまうことが多い。めちゃくちゃ笑って、めちゃくちゃ遊んで、クソみたいに働いて、誰しもに「社畜」と笑われて、意地で働いているとこういう日がくる。多分俺はコロナじゃない。多分ね。オーバーヒートしちゃっただけ。はしゃぎすぎた子供が熱出すような、そんなのと一緒。無気力になっていくのがわかる。何度も楽しいことがあれば、また辛い日々も乗り越えられるなんてのは戯言であり、抜け殻みたいになってしまった。

 

 

そういう「憂い」とも呼べる何かを流し込む為にきっとアルコールに逃げてるんだと思う。手が震えるってのもネタにしてるけれど、実際どうなのだ。健康診断で肝臓がD判定だったのも、逃げすぎている結果かもしれない。別に不幸自慢とかそういうのじゃない、そもそも俺の周りにあんま幸せなヤツがいない。あんまり興味も無い。俺だけはそれなりに幸せになりたい。それなりに。