×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

なんでもないを信じる

 

「なんでもない」

 

 

 

一言一言に、余計な詮索を始めたのはいつだろうか。「大丈夫」と言われれば「きっと大丈夫じゃない。」と思い、「なんでもない」と言われれば「何かある。」と勘繰る。きっと小学一年生の頃はそんなこと思わずに、もっと素直なはずだった。そう、もっと素直。

 

 

鈍いと言われても、何考えているかわからないと言われても、月並みな言葉で言う「大事な人」からの「大丈夫」は信用しないと失礼なんだなと最近学んだ。僕らは考えたり、勘繰ることに深入りしすぎてしまって、相手に対して失礼なことをしているのではないか?

 

なぜ信用すべき人の言葉すらも疑って、誰が得をするのだろう。それをそのまま呑み込んでみることが、相手へのリスペクトであり、愛なのではないか。例え相手が同性だとしても、そこにあるのは愛情だと思う。そこに性別の垣根は無い。

 

僕らはどんどん人を信用しなくなる。裏切られた経験なんて数えてみたらそんなに多くもない。信用された回数より、裏切りが多いなんてそんなことないでしょ?

 

でも、それらが大きくトラウマになっていたり、どこかで引っかかっているからこそ、本当に必要な言葉を信じられなくなったりしている。とっても情けない。むしろ僕らには言葉しかないのだから、それを疑って、誰が幸せになろうか。

 

お世辞や気分を良くするだけの言葉も世の中にはたくさんあるけれど、それでも僕らは一生「言葉」を信じていくのだろう。言葉に振り回され、傷つき、それでも信じるのは言葉なのであれば、まずは僕から馬鹿正直にそれらを面と向かって信じてみようではないか。

 

 

まだまだ僕はアップデートを続けていきたい。凝り固まりたくない。頑固だ何だと言われるけれど、崩していく気概はある。

 

信用される前にもう信じているような、先出しで心の中に滑り込むような大人でいたい。もう変わらないかもしれないけれど。

8マス理論

 

 

 

「誰かの一番になりたい?」

 

 

 

 

そんな話を会社の人としていた。どうだろう。

 

 

昔から、2番手3番手、いや7番手くらいの人生だった。決してクラスの中でもスターにはなれないけれど、スターの隣には何故か僕がいれたような気がする。人気者の輪の中にはいる。やはりでも中心ではなく、僕に誰かが集まっているわけではなかった。けれどもそこに不満は無かった。気にしたこともなかったかもしれない。僕はスターになれないことを悟っていたし、そういう星の下に生まれていなかったのも知っていた。諦めていた。

 

スポーツでチームを決める時に取りっこをするが、凄く嫌いだった。必要とされていないのを目の前で感じていた。必要とされなくても、選ばれたいという気持ちは誰にでもある。

 

けれども誰かに一番として選ばれたい欲求が生まれたかというとそうではない。きっと自分を納得させる為に「みんなの一番になれなくても、8番以内には入りたい。」みたいな防御策が生まれた。

 

 

何が8番なのかというと、ストラックアウトのパネルのような(3×3の)9マスがあるとする。

残り8枚を自分の友人や恋人で埋めていくという話。

 

 

誰かにとっての一番になれなくても、その人の8枚の中には入っていたい。それが面白い枠でも、先輩枠でもいい。誰かの一番になりたいなんて、独りよがりすぎではないだろうか。贅沢なのではないだろうか。でも8枠の中に入るなら、それならなんとかなるかもしれない。そういう立ち回りを続けていたい。

 

 

自分を中心(5番)とした時、左上(1番)から一体誰をどこに置くだろう。不動の4番、6番がいるかもしれないし、今この瞬間だけ1番に入り込む人がいるかもしれない。それでいいと思う。俺は誰かにとって不動の7番あたりでいたい。まあこれも、贅沢すぎる話。

 

 

プール

 

色々あって死ぬほど貯金が減った。30歳手前でこんな貯金残高でいいのだろうか?と思うけれど、東京でストレス無く暮らすってこういうことだとも思う。貯金は悪でもある。お金は不思議だ。毎日会社に行くだけでお金は入ってくるのに、なぜ我々はこんなに苦労して、すり減らして、働くのだろう。どうして中途半端ではなく、とってつけたような責任を自分の役目だと言い聞かせて、頑張れるのだろうか。ほわほわと眠気に襲われながら、この後僕は布団から這い出てPCを立ち上げるのであろう。

 

 

また、いやまだ、変わらない日は続く。

 

 

たまにめちゃくちゃ歪んでる自分に気がつく時がある。気が付かせてもらうことがある。もうこんな歳になると、間違っているかどうかも疑わない自分がいる。

 

 

今から働くことも、きっと間違っている。また勘違いをしながら、心を擦り減らして今日も働く。明日も続く。

判断

 

2択では無くても、選ばなくてはいけないことが増えた。どちらを選んでも何が正しいわけでもなく、選んだ方向を正しいと思わなければならないことが増えたのだ。プライベートの話だけではない、仕事もそうだ。納得が大事。

 

 

忙殺される中で、たくさん見落としてきた。あるはずの無い選択に迫られたり、選択すべきを諦めたり、まるで人生もタスクまみれの仕事のようだ。思考していいのだろうか。思考を止めて、ただ片付けることに夢中になる僕の判断は間違いだったのだろうか。誰も教えてくれない。

 

 

10年に1回あるかないくらいの勢いで、普段の自己肯定感や尊厳が消えた。今日、もう本当に消えてしまおうかと思うくらい、死のうと思うくらい。何も誰にも言えないけれど、少し助けてほしい。

 

メッキが剥がれた今、俺は誰に何を頼ればいいのだろうか。

強くいることだけが僕である意味で、もう何もない。

廃課金

 

 

「クソッ…クリアできない…。」そんな時は1個¥110の課金アイテムをチャージする。それなりに敵が楽に倒せたり、ヒントを貰えたり、通常プレイでは手に入らない便利なアイテムが手に入る。買うかどうか悩む絶妙な金額は使う毎に感覚が麻痺してくるが、それでも僕らは惜しみなくお金を投下する。

 

「クソッ…洗濯も掃除もやる気が出ない…」そんな時は1個¥500くらいの柔軟剤を買ったり、何だか便利そうな掃除グッズを買ってみる。それなりにいい匂いになり、楽に掃除ができたり、掃除をするという目的が「使ってみたい」という欲求に勝てず、自ずと掃除を始める。買うかどうか悩む絶妙な金額は使う毎に感覚が麻痺してくるが、それでもやる気を出してくれるアイテムとして、惜しみなくお金を投下する。

 

 

何につけても、僕らは理由が必要なのだ。

 

そして時にはやる気を出す為のアイテムを探さないとクリアできないことがある。嫌な飲み会があるなら、事前に外に出たくなる(見せたくなる)服や装飾品でも買えばいい。仕事が嫌なら、終わってから楽しめる何かを事前に購入したり、約束を取り付けておけばいい。目の前の事象に常に素のままで当たっていても、負けが嵩むだけで参ってしまうから。

ありもしない先に

 

仕事初めから2日が経って、なぜ年末あれだけ踏ん張れたのかをどうにかして思い出そうとしている。今も体からやる気がズルズルと抜け落ちている。塞ぎようのない穴が空いていた。もう頑張らなくてもいいんじゃないかと思っている。反面、まだまだこんなもんじゃないという気持ち。相反する。少し何かが満たされてしまったのだろうか。妄想にお腹を膨らませているだけで、事実何も得ていないのではないか。完璧になりたい。今年、本当にちゃんと潰れる予感がしている。予感がしていれば予防すればいい話なのだ。答えもわかっているはずなのに、なかなか進めない。もっと、もっと上手に生活をしようと思う。もしかすると、目指していた大人になれてしまったのかもしれない。完璧主義で、会社に必要とされて、ある程度稼いで、適当に遊んで。やっぱり探さないといけない。働く意味だとか、今日を楽しむ術をちゃんと探す。ありもしないと思うけれど、探すことに意味があると暗示をかけながら、今日も眠ります。お疲れさまでした。大丈夫です、自称天才なので。はい。

2022年の足取り

「2022年」

 

 

 

目標は今のところ何もない。

 

 

今更、何かを始める気力も無く、新しい自分に生まれ変わることもできない年齢になってしまった。(なれる年齢ではあっても、僕にはもう無理だ。)もうここまで来てしまったのなら、昨年の自分を盛大に褒めてあげながら15%くらい成長できればそれでいい。誰かにとっての何になろうとか、何か立派なコトを成し遂げるなんてどうでもいい。去年の僕が最高だったので、それを準えるだけだ。

 

また頻繁にブログを更新できない日が来る。水道料金が払えなかったり、役所の手続きや、ゴミ出しができなくなる。肉体と心から「余裕」だけが吸い取られる毎日が明日から始まる。見えない妄想のプレッシャーは紙やすりのように心を擦り減らしながら、それでもどうにかして浮き沈みする「人間らしさ」みたいなものに周りを巻き込み、迷惑をかけながらもまた自分で自分を鼓舞して、全く2021年と変わらず生きることができれば、その先にあるのは昨年同様「最高」なのだ。その覚悟がある2022年と、それが無いまま迎えた2021年はもしかしすると少し違うのかもしれない。

 

 

ここ2年くらい「多様性」みたいな言葉がめちゃくちゃ蔓延した。それはジェンダー的な話だけではなくても、何もかもを受け入れていこうという姿勢みたいな、なんかそういう「流行り」がきた。そうでしょ?今年はもっと日本中が「生き方」みたいなものにフォーカスされる年になると思う。それは別に働き方とか、子育てとか、とても多岐に渡っていて、それでいて何が正しいではなくて、どれも正しいから皆選べば?というモデルケースのような人が山のように出てきて、我々はそのモデルからある程度の方向を選択せざるを得なくなる。一方、俺らは「他人に期待するな」なんて生き方をどこか生きていく中で刷り込まれたりもして、自分の力で生きていける人こそが世の中での勝者かのように持て囃される。果たして、俺らはどう、何を目的として生きていけばいいのか。どこに向かえばいいのか。そもそも生き方の目標って必要なのか。個人的に、2022年はそんなものを少し見つけられたらと思う。俺は賢くも無いし、誰もが納得する世界の真理(人が生まれて持つべき目的)はわからないけれど、自分の目的の手がかりくらいは見つけられたら御の字だ。

 

Creepy Nuts / のびしろ【MV】 - YouTube

 

 

このあと更に書いていたのですが、長すぎて全部今消しました。ウケる。『のびしろ』感じながら今年も筒井をよろしくお願いします。

 

去年より面白く、賢く、八方美人でやっていきます。アプデを続ける僕に乞うご期待くださいませ。そしてもっと、飲みに行こう。