×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

例え話と人柄

 「書くことについて」書くことはあまりない。

 

 最近、ブログの更新をするために何かをネタに書いていると「これ面白くないな。」と下書きに捨ててしまうことが多いため、下書きは中身のない墓地のようになってしまった。ブログを書く時間が何になったかというと、お風呂に浸かりながらスマホのアプリで麻雀をする時間になった。お金を賭けたりすることが嫌いなので、実際に雀荘で麻雀をやったりはしない。できない。絶対悔しくてハマってしまうから、僕はアプリでオンライン対戦をして勝ちを収めては悦に浸っている。今はお風呂を溜めている最中に寝落ちしないよう、こうしてポチポチと布団に入りながらも「はてなブログ」を立ち上げた。さあ、何を書くか。といったところだ。きっとお風呂を出る頃には2時になっているのだろう。

 

 

 まるで〜のようだ。

 

 

 昔の記事を見ていると、基本的に例え話みたいな文字稼ぎが多く、いかに尖った表現をすることが自分らしさをアピールできるかのような書き方をしていた。これは地下室TIMESの影響なのかもしれないけれど、正直言ってダサい。若気の至りみたいな言葉で片付けてしまえば確かにそうではあるけれど、あまりいい気分で読めたものじゃない。そしてある日を境に、何かを馬鹿にしながら例えて全体を卑下するようなことを言うのはやめた。基本的に文章に人柄が出ることは少ないと思っていて、これだけ自由に殴り書きができるのだから、それなりな人が賢そうに書けばより賢く見えるし、敢えて馬鹿そうに書けば馬鹿に見える。音楽や絵はある種感性のようなものが大きく占める上、才能や努力が現れやすいため、どんな歌詞、どんなタッチで書くかを偽ることは難しい。対してブログなんてものは、誰しも文章くらいは書けることもあって、自分の気持ちをそのまま書かない限りには人となりが見え難かったりする。あ、お風呂が溢れた。

 

 例え話。いわゆる比喩表現に人柄(悪い部分)が出ることは大いにあり得る気がする。主題に共感を得てほしいがために、誇張した比喩表現を濫用するのはどうも文章が面白くなくなり、僕のようにワードセンスみたいなものが欠けていると、より文章全体が薄っぺらいものになってしまう。たかがブログにそんなことを意識しているのもなんだかおかしな話だけれど、1人でも読んでいる人がいるのであれば、まともなことを敵を作ることなく面白く書きたいものだ。

 

 ツイッターの世界もそうだけれど、何かを馬鹿にすることで共感を得、それらに集まって叩き合うことがここ数年ですごく増えた気がしている。というか一時期は僕もそんなことをしていた。いやもしかしたらきっと昔からそれらはずっと水面下にあったけれど、たまたま音楽関係やバンドのことについての投稿が増えてきたのかもしれない。

 

 「なんとなく嫌い。」

 

 この理由を他人に委ね、よくわからずに叩く。なんとなく人気だから。ファンが何となく嫌い。なんとなくパクリっぽいから。なんとなくうるさいから。なんとなく見た目が嫌いだから。そのうちどこかで自分なりの(どうせ受け売りの)上手いことが言いたくて、狙ったツイートをして、燃えるのを待つ。そんな構図があまりに多すぎる。別にツイッターなんだから、やめろとは思わないけれど、たとえ僕がとあるバンドを物凄く嫌っていても参加しようとは思わない。そんな多数決の悦に一緒に浸って、共感を得たくはない。これは汚れた承認欲求の最終形態だと思う。

 

 

 

 ここまでなんだか何が伝えたいのかわからないようなことをダラダラ書いてしまったけれど、僕はツイートにしてもブログにしても、センスが乏しい笑えない比喩表現を見ると、最近吐き気がする。(もちろん実際はしないけれど精神的にね。)共感を得たり、承認欲求を満たしたかったり、自分の居場所を見つけたいのだったら、ぜひ違う形で賛同を得たらどうだろうと思うのだ。

 

 

 誰かの悪口や何かのディスをしてほしくないなんて綺麗事じゃなく(むしろ好きなだけ書けばいい)それを上手いこと言ったつもりで叩いてる小物に、ムズムズする。

 

 その喩え、全然上手くない。とコメントしてやりたい。

 

 

明日も頑張りましょう。それでは。