×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

ADHD

都合よく生きるのはやめよう

 

 

Twitterはなぜこうも「えっ」となる人が多いのか。

 

自分のプロフィール欄からはみ出るほどに自分の病状を書いていたり、自分の息子や娘の難病を書いて、何を欲しているのだろう。

 

前提として、障害や難病を抱える人を悪く言いたいわけではない。誤解しないでほしい。色眼鏡無しに、フラットにいたいのだ。

 

彼らは同じ悩みを抱える人たちで集まりたいだけじゃない別の何かを感じてしまう。そして彼らは総じて前澤さんのツイートをリツイートして、懸賞に応募し、前澤にリプライをして、なぜ今回も当たらないのかと嘆いている。本人が大変で、僕もわからないくらいの苦労をしているのは凄く理解したいが、それを公にすることで何らかのメリットがあるのだろう。6年間いじめられっ子だった小学生時代や、前職での心療内科通いを書けば何らかのメリットがあるのかと思うと僕は全く思わず、むしろそんなのライトすぎて、もっと苦労をしている人たちがTwitterで生き生きしている人たちを見るほうがずっと応援したくなってしまう。そんな気分の中、ADHDのとあるツイートを見た。そこで気づいた。

 

 

自分がADHDだからとか、HSP(最近話題になったやつ?)だからと誰の診断も無しに自分を世間的弱者の仲間に入れることで、自分を社会から認めてもらおうという人が増えすぎている。

 

恐ろしいのは、23歳以上でこう思っている人が突如として増えていることだ。

 

そりゃ大部分は本当に人との付き合い方や、社会での身のこなし方に苦労をして、たくさん失敗や後悔をしている人がいる。たくさん見てきた。ただそんな本物の人たちを名ばかりの「自称苦労人」みたいなのが湧いているせいで、もはや僕の中の「ADHD」「HSP」はただの甘えのように聞こえてしまう。

 

 

多様な考え方、世界、文化、社会を受け容れていこうという考え方になってきている。ゲイ、バイ、レズビアン、別に何だっていいし、好きな生き方をすればいい。ただそれらジェンダー的な課題と違ってHSPなどが厄介なのは「自分はHSPだから…」とそれを盾に周りを服従させようとしている人たちがいる。これは違う。「自分はゲイだから、俺が好きになっても許してくれよな。」なんてことをゲイの人たちは思わないはずだ。まだまだ差別はあるけれど、限られたルールとコミュニティの中で生きている気がする。これが精神的な話になると全く異なってくる。

 

 

社会的弱者は守られるべきであるが、優遇されるわけではない。だからと言って他の人より特別な対応を受けることはなく、本人は本人でそれを改善しようとしなければいけない。それを知らずして「いやあ、自分はこういう人間なんで…(笑)」「あ!私ってADHDなのかも!」とか恥ずかし気も無くツイートしている人を見ると、なんだかそれで本当に悩んでいる人たちに対してどう思っているのだろうかと、悲しくなる。

 

厳しい話をしたいわけでもなく、自分がそういう人間だと思ったのならば是正していこう。それを盾にして、周りに気を遣って貰おうなんて甘い考えはきっと見透かされる。

 

 

ここまで偉そうに書いたのも、きっと僕もその1人だからと

 

「自称」ではなく「自覚」をしているからだ。

 

地図が読めない、話したことを覚えていない、計算が人並みにできない、そんなことで自分を「そういう人間なんです……○○なんです……」というレッテルを貼りたくない。

 

そして今日以外、どこにも誰にも別に話すつもりは無い。

 

それなりに、僕なりに、つよくいきたい。

 

気高く生きていたい。

 

おやすみなさい。