×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

バスの真ん中

 

 

仕事が本当に終わった。

 

 

文は長くなる。

 

 

 

凄まじい一年だった。27歳、初の課長。後輩ではなく、初の部下。初のチーム。上場に向けた勝負の年。私をこの会社に誘った人は当時から取締役だったが、更に雲の上の存在になった。同時期に入社した人でも、役職の有無によって見えるような区別をされ、私の残業代は出なくなった。日々厳しくなる会社としてのルール。全体の労働時間の調整、残業時間の管理、評価制度の明瞭化、与えられる使命と責任。それぞれがそれぞれの場所で会社の為に働き、少しでも思い描く理想の未来に向けて、奔走していた。誰にも理解されず、誰の気持ちも理解できない苦労が一人一人の社員に内にあったんだろうなと思う。何人もの人が言いかけた愚痴を呑み込んだのだろうか。そして僕は何度、無意識に呑み込ませてしまう側に回ってしまったのだろうか。

 

 

いつからか、成り上がるような筋書きが好きだった。逆境やドン底からいかにして生還するかという途方もないストーリーが好きで、思い返せば今年は物凄く長いドン底が続いていた。時折見せる幸せはお客さんからの発注連絡であったけれど、それすらも重なれば重なるほどプライベートは犠牲になった。仕事としての幸せを得る為に、私は私生活を対価として支払った。

 

 

 

土日が片方もない日が7月くらいからスタートしていた気がする。遊んでいても「明日仕事だから…」という思いが強く、日曜に予定を入れることがなくなった。誰かの為に時間を割くことがストレスで、本当は会いたい人とも遊ばない日もあった。仕事をしている自分をどうにかして好きにならないと、おかしくなりそうな日がたくさんあった。もはや、誰かと楽しむなんて余裕があるなら、目の前の仕事を終わらせたかった。こんなはずがないと思いながら、絶対に報われると思いながら毎週を過ごした。そう言い聞かせていた。社会は怖い。誰の褒め言葉も慰めも治療にはならなかった。少し人として大事なものが壊れてしまった気がする。それらはもう二度と、戻る気がしない。そして何も知らない人たちにこう言われるのだ。「変わったね。」と。変わらざるを得なかった者の苦労も知らずに。

 

 

でも、別にそれでいい。

 

いつのまにか自室で迎えるはずの明日を会社で一人迎える日が続いていたけれど、それでもこれでいい。帰宅してたった2時間くらいの寝るまでの時間にゲームをして、休日の晩ごはんにピザを作ったり、少しいい酒を飲んで、無くなりかけているプライベートをいかに保てるか、いかに心に優しく、笑えるかどうかに限られた時間をベットしてきた。終わらない変わらない(ように感じる)日常に正気でいる為に、例えそれが30分でも、楽しいことをしなきゃいけない。笑いこそ、僕の反骨精神のダイナモなのだ。めちゃくちゃ笑って、めちゃくちゃ働けば、全て解決なのだ。これが課長初年度、ようやく今日分かった「正気の保ち方」であるとここに書く。