×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

変わらないのは

 

努力家が報われない状況や、人間が諦めるシーンが好きだ。

 

これだけ書くと性格が悪そうな話になってしまうけれど、まあそうだとしても意味は違う。

 

何事も、そういうもんだよなとあらゆる状況を受け入れることができる。そんな気持ちにさせてくれる。驕らずいられる。

 

何処も彼処も世の中には成功体験やポジティブな他人談で溢れすぎて、そんなもの麻酔のように一時的に痛みを麻痺させるだけで、抉られた傷は塞がれてはいないのだ。誰が何と言おうと、現状の課題解決なんてない。言葉に力はあるけれど、言葉によって解決することはほとんどない。ただの栄養ドリンクみたいなもんだ。飲んで元気になっても、仕事が終わるわけではない。終わらすのは自分自身なのだ。そして大人になればなるほど、ドリンクの効力は自分の体験が邪魔して「誰かの言葉」も薄れていく。世の中の大半が有神論者なのは文化的な背景もあると思うけれど、きっと誰かの言葉ではなく「絶対的な崇拝対象」みたいなものがあれば、それだけで生きる活力になるからだと思う。厳密に言えば「神の言葉」だからこその効力で、「人間の言葉」ではないから受け入れる人たちがいるのだ。

 

そう、僕らは何につけても「理由」が必要な生き物なのだ。

 

 

 

何度もここで書いているように、FoZZtoneというバンドが休止してしまったのも、もう何をやっても泣かず飛ばずになってしまったからに違いない。2009年頃からの試みはどんなバンドよりも先進的で、ライブの録音・録画OKだったり、リスナーがアルバムの曲順を決めたり、そんなバンド自身を鼓舞し続けていた曲たちも2013年で限界を感じていた。だから2014年にあんなにも暗いアルバムを出して休止した。もう参ってしまったんだと思う。最後の力を振り絞って出したシングルは、過去作と違って必要以上にメッセージ性が強かった。何だか恥ずかしいくらいに真っ直ぐな曲で、当時かなり面食らった。

 

変わらないのは世界の方か

頑張っている自分の方か

Do I understand?

誰が答えを解っているだろう

 

陽キャだ何だと言われる人も絶対何か抱えている。毎日明るそうに見えるアイツもそれを隠すのが上手いだけで、迫る絶望と戦っていたりするもんだと思いたい。というか、そう思わないと自分がどんどん卑屈な人間になってしまいそうだ。「人間力」みたいな言葉があるかはわからないけれど、その「隠す」上手さはきっと「人間力」の一つに違いない。隠しきれずにそれが溢れ出てる日もきっとあるだろう。別にそれだっていいし、草臥れて死にかけたっていい。僕も、より人間らしく生きていたい。自分で自分を鼓舞して、色んな人と照らし合わせて、重ねて、移入して、まだ行けると笑っていたい。

 

 

そんなことを、日曜に会社へ向かうバスで思ったのでした。