×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

未来「が」期待している

 

 

こんばんは、筒井です。

 

 

 

『溢れる感謝を込めて』

 

 

 

   そんなに大したことでもないけれど、気づけばブログは5年の月日を刻んでいました。20歳の頃の僕は、25歳になってもこのブログに毎日浮かぶ複雑な気持ちや、悲しいことや、楽しかったことを刻み続けると思っていただろうか。5年間何かを続けることが案外難しくないってことを知っているだろうか。5年後、望んで入った会社で一気に営業のエースとなり、事業部を背負い、踏ん張った瞬間に崩れ落ちることを予想できただろうか。なんてことを思うと、色々なことを続けることも悪くないと感じる。

 

 

   どれもこれも読んで何かしらの反応をしてくれる人がいるから、僕はこうして今日も書くことにワクワクしているわけです。そう、きっと見られるからやる。「なんだって」ではないけれど、大体のことはそうらしい。人は承認欲求を持たずにはいられない。何度も書いているけれど、僕らはもう立って歩くだけで褒められる歳でもないし、九九を暗誦することが当たり前の中の当たり前になっているらしい。それと歳を重ねると褒められていることに疑い深くなるらしい。極めて残念だ。

 

 

 

 

   「それって本気で言ってる?」

 

 

 

 

   そんな風に思うようになる。本当は自分だって嬉しいのに、どこかで疑ったり、もっと周ると「嫌味」なんじゃないかと勘ぐる。少なくとも僕が二足歩行をした時に親に向かって「お世辞が上手いな。」とは思わなかったはず。悲しき哉。僕の友達にはこういう人が多い。多いから僕は少なくとも友人が頑張った時や、何か終えた時は精一杯褒めたい。逆にそれをされた僕はきっと「まあ大したことないけどね。」といつものナルシスト風を台風ばりに吹かすけれど、それでもやっぱり嬉しいから、喜んでしまう。

 

 

   それでいいと思う。皆少し謙遜して、大したことしてないよと言いつつ、どこかで嬉しいはず。たった2コマの授業を受けに大学に1限から行くあなたも、6時間嫌なバイト先で働いたアナタも、テスト前に徹夜で課題と勉強を片付けたあなたも、調子が悪いから勇気を出して会社を休んだアナタも、褒められる権利がある。やりきってなくても、褒められる権利がある。褒め合っていきたい。引用になってしまうが、目の前の馴れ合いは大事にしていたい。笑える程度の悪口はあっても、なんとなくいい人でいたい。とブログを読み返してて思いました。

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

「少しだけ話が変わる。」

 

 

 

    どうせなら僕の友達がみんなブログを始めればいいと思っている。それぞれみんなたくさんの言いたいことがあって、ツイッターじゃなかなか言えなくて、足りなくて、気まずくて、言う人もいなくて、でも買ってきたCDが最高だったとか、彼氏ができたとか、就職に失敗したとか、ダラダラ書けばいいのにって思う。有難い事に「文章が好きです。」みたいなことをたまに匿名でいただいて、それをスクショ撮るくらい「欲しがり」な僕ですが、書くより読むほうが好きだ。だからとりあえず新年にもなりましたし、ブログなんかを始めてみたらどうでしょうか。ほら、登録。右上にあるから。ほらほら。

 

 

 

 

 

 

 

最近、筒井自論みたいなブログを書きすぎて5年後くらいに恥ずかしさでもがき苦しむのではと心配しておりますが、きっと30歳になる5年後も同じようなことを書いていたいと少しだけ期待…というか、願っておきます。

 

 

 

 

みなさん、今日もそれぞれお疲れ様でした。