僕は英語が全然できないし
だからといって中国語が達者なわけでもなく
そもそも日本語ですら完璧ではないのだけれど
一人称の多さにロマンを感じます。
俺、僕、ワイ、私、ワシ、おいら、あたい、あっし、拙者、おら、うち
僕たちは何気ない生活の経験でこれらを使い分けてるけど
外国の人はきっとすごく困ると思う。
僕が急に「拙者は来週マカオへ行きます。」
なんて記事を書き始めたら何かコイツはアニメか映画に影響されたな
とか考えるだろうし、うん。
名前も、声も、顔も知らない人でも、その一文だけ見れば
なんとなくどんな人かが分かるのは、素敵だね。
誰かとの関係に、空白が大事だと最近感じる。
すぐ別れちゃうカップルはきっと空白が足りてない。
( 何を恋愛マスターみたいなことを言っているんでしょうか )
でも空白がありすぎるとそれはそれで違う、とても難しい。
文字みたいなもんだと思う。
くっつきすぎてても読みづらい、なんだかもう少し余裕を持たしたくなる。
で も 、 は な れ て て も よ み づ ら い 。
SNSがこれだけ浸透した世の中で、みんながみんなと繋がろうとしてて
みんなと繋がることができる。
でもきっとこれからは、どうやって距離を保つか
ってことに重点が置かれそうな気がする。
今まではより身近に、より傍にいるための機能だったのにね
みんながみんなを監視しすぎてる。
もしかして、便利すぎるのも考えモノなのかもしれない。
それか、僕がお爺さんになってきている予兆なのかもしれない。
聴いて損しないよ。