×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

12年目

今年くらいは集まりたいね。

 

 

 

大学1年目に祖母の家で暮らし始めた俺は高校時代の友達3人+野口という合計5人で毎週遊んでいた。野口はそのうち2人と中学が一緒だったりして、何の違和感もなかった。強いて言うなら何故高校時代に会わず、18歳で5人が集まったのかという点だけれど、きっとスマホが普及していなかったり、村社会みたいな狭いコミュニティがそうさせていたのかもしれない。

 

 

それから毎年年末はカウントダウンジャパンに行き、暇があれば集まる毎日が何年も続いた。バラバラで遊んでいたはずが、気づけば俺の家にいて、好き好きに帰って行ったことなんて腐る程ある。そして各々のタイミングで社会に出たが、結局何も変わらなかった。結婚や子供が産まれるハッピーな話はありつつも、距離は変わらず、遊ぶ頻度は減ったけれど誰1人関係を疎かにしないまま今日を迎えた。

 

 

そのうち1人が今日誕生日ということもあり、LINEグループが動き出すとそこは12年前だった。誰も話を聞かない。内輪でしか笑えないネタの応酬。12年前と何も変わらない。

 

そういえばこの数年、コロナで集まれない日が続いていた。そんな気はしなかったけれど、我々が5人で遊んだのはもう3年ほど前となり、誰かがいれば誰かが欠けていた。ようやく「今年くらいは集まりたいね。」と1人が切り出したのをきっかけに話はトントンと進み、GWに地元を巡る謎の日帰り旅行が予定された。板橋のスポッチャに行くという縁もゆかりも無い話が飛び出たが、予定に入っているのだろうか。

 

 

毎日毎日働いて、仕事まみれになっても、いいのか悪いのかは別として12年前に戻るグループがあるのは有り難い。心から感謝してる。そして来年もまた集まりてえなあ。と、もう考えている。今年も死ぬほど笑えるのは約束されているから。

 

 

みんなどこかへ

 

15人目に正社員として入社した僕のいる会社は今日、151人になった。まさか数年でそんな規模になると誰が予測しただろう。目まぐるしいという言葉が似合うような毎日にじっと下を向きながら体をナナメにして歩いてきた。もう僕の知ってるカイシャではない。知らない人はたくさんいるし、誰もがリベロみたいな働き方ではない。ああ、これがカイシャだなあと思う。

 

 

 

本を読まなくなった。近所のブックオフが改装するからと本を全品70%オフという賞味期限切れの商品のような売り方をしていた。結局、あまり時間がなくて買えなかった。実際何を読みたいのかもわからないし、好きな作家がどんな風だったかも忘れるほど、読書をしなくなった。読書はある種のバフだった。巷で言われるように、手軽に人が丹精込めた作品に出会える上に、本当に感情は豊かになる。本当に面白すぎる作品に出会って、駅のホームで待ってる間に読みながらそのまま電車に乗って、降りてそのまま歩きながら読みたくなるほど没頭する作品にたくさん出会ってきた。気づけばより手軽な情報をまとめサイトだとかで読みながら、いつの間にか会社に着いている日々が何年も続き、僕の習慣は消えた。TSUTAYAでCDを視聴することや、立ち読みで思わぬ出会いをすること、人と同じように作品とも疎遠になり、出会いのきっかけがなくなった。そのうち作品のマッチングアプリが出てくるんじゃないかな。もしかすると本やCDが好きというより、それらを試食する時間が楽しかったのかもしれない。そんな機会が時代と自分の怠惰によって消えた。YouTubeやサブスクで数秒聴いて終わり。もう目の前にあるからこそ、じっくり味わうことがなくなるという贅沢な病。あの頃千円で5枚を選ぶか、シングルを買うか悩んでいた俺よ。留学から帰ったその足でレコードショップとTSUTAYAに行きひたすら散財した10年前の俺よ。そんなことをたまに思い出せるだけ、まだ無事なのかもしれない。試食を増やそう。

 

 

 

先日、歩いている最中に数秒に1回謎の目眩に襲われて思わず一緒にいる友人に「ぶっ倒れるかもしれん。」と真面目なトーンでヘルプを出した。ただの鉄分不足と寝不足ならよい。失って気づく、健康の素晴らしさよ。

 

 

 

春がもう来た。雨が続いて季節が変わったような風が吹いている。皆が花粉症に苦しんでいる中、万年無事だった俺は今日、何故か鼻水が止まらなくなった。これでようやく多数派の仲間入りを果たしたかもしれない。同じ苦しみを味わう同士、春の共通話題ができた。また一つ、共通言語を手に入れた。こうして老人になり、腰の痛みや特効薬かなんかでまた共通点を見つけていくのだろう。オススメの薬の話なんかしちゃって、あそこの病院がどうとか、院長がどうとか、そんな話をするようになるんだ。

 

一方で土曜日に俺の家に来た野口は「病院の看護婦さんが可愛かった。」なんて話をする。それでいい、それがいい。

 

このまま30歳になり、このままの共通言語でいこう。

Twitter

 

Twitterアカウントを二つ所持していた。

 

何をどう使い分けていた訳ではないけれど、会社で起きたアレコレを吐き出す場所になっていたのは間違いない。

 

ふと、夜中に「いらねえ。」と思い全て消した。破壊の美学、ここに存り。特に何かあった訳ではないけれど、不要と見做した。

 

 

 

フィルムカメラを買おうとしている。どうもなかなか外に行くことが億劫な割に、誰かに誘われることもその日の気分が重要になる中々厄介な性格を持ち合わせてしまったもんで

外に連れ出してくれる「何か」を探した結果、僕の場合は自転車でも洋服でもなく、カメラだった。

 

 

少し、楽しみだな。

 

 

感冒

 

インフルエンザになった。

 

 

28歳を過ぎたくらいから、どうも体の調子がおかしいことが増えた。すぐに熱が出る。まあこれも加齢って奴が原因で、上手いこと付き合っていかなきゃいけないんだろうね。生きるってことだね。

 

 

 

大量の口内炎をベロでチロチロしながら、陽に当たって汗をかいて、シャワーを浴びるを繰り返している。もう無茶して働いちゃいけないんだなと反省する。あんまり友達のいない人生だったが、色んな人が「食べるものある?」とか連絡してくれた。全員に「ねーよ!もってこい!」って無茶言っても持ってきてくれそうな優しい人がたくさんいるなあと、しみじみした。風邪を引いて、健康が一番と解らせてくれるように、人付き合いも大事だなと解らせてくれた。

 

 

俺はSNSで承認欲求が得られなかった。もっとフォロワーとかも欲しかったし、色んな人に何かを発信して、共感したかった。でも才能も無かった。結局、本を書く夢も叶えていない。努力も足りなかった。言い訳をすれば、時間が無かったのかもね。そして仕事でしか自分の居場所を見つけられなかった。上司や取引先だけが俺を認め、褒めてくれた。虚像じゃなく、事実として結果が存在していることが嬉しかった。ただ今後はそれ以外の部分を探さないといけないんだなとこれをきっかけに思った。もう今まで通り毎日26〜27時まで働いてるなんて、きっとよくない。言い聞かせてはいる。言い聞かせてはいるから、実行に移さないとね。

 

 

 

 

 

最近調子はどう?

 

 

あとさき - YouTube

 

霧中

 

あけましておめでとうございます。

今年も筒井をよろしくお願いします。

 

 

理想としている私生活にウエイトを置いた日々とはかけ離れて、相変わらず0時まで働いて家に帰る日がやってきた。おう、また会ったな。

 

無論、帰って風呂に入って寝るくらいしか気力は残されていなかった。世の中の29歳は20時には家に帰り、家族の時間を過ごしていたり、友人と2時間近く飲んだりしている。このままでいいのか?という未来からの焦りが俺を突いてくる。

 

2〜3年前はそんな生活どうでもよかった。でも知っている。忙しくなればきっとそんなことどうでもよくなり、霧の中に消えていくのだ。今年も心を殺して社畜を極めて、金を稼いでいく。家に帰ることよりも、仕事を終わらせることが結果安眠に繋がる。

 

引き続き俺が社会人底辺の見本をするから、もっと底辺もいるんだなと思いながら生きてくださいませ。現状維持でいこう。昨日より1.01倍楽しい日を求めて、私も頑張ります。

 

矛盾してますが

各々が誰よりもいい一年になるように願っています。

今年もよろしくお願いします。

 

日に日に

2ヶ月も更新ができなかったブログが、この2ヶ月の余裕の無さや不安定さを証明している。

 

3日で6時間しか寝ていない日々でも、後輩が何を言っても覚えてくれないことや、会社の進退を考えさせられることも、上場するとかしないとか、結局何かに残さなければ記憶の溝に落ちて浮かび上がってはこない。思い出すことを諦めた2ヶ月だった。ほんの一瞬の笑いが記憶の塗り替えを頑張ってくれていた。

 

俺は去年の半年間と比較して売上が2倍になっていた。毎月200%レベルで推移していた。正直W杯で「選手のピーク」なんて言葉を聞きながら、比較する次元は低次元すぎるものの、俺のピークも終わった気がした。会社にはどうにかして昨対比200%のセールスを手放さないようにしてほしい。25〜29歳という人生で最も青く動けるこの時期を捧げたのだから。あと基本給上げてくれ。その辺のリーマンと一緒か少し上くらいじゃ、この欲求は満たされないのよ。

 

 

 

会社に着いた。働こう。

輝かしさ

 

大人になると、変な大人によく会う。

 

 

 

常に不機嫌な大人、心配性すぎる大人、細かすぎる大人、沸点の低い大人、話の聞けない大人、事を荒げる大人、大体のトラブルの原因は大人によって作られていた。

 

 

そんな大人たちも僕も、昔はちゃんと学生をしていて、みんなが皆ぼんやりと不安や焦りみたいなものを感じながら、一生こんな時間が続くんじゃないかなという奇妙な安堵感を混ぜ混ぜしていたのかな。どこで何があって、変わってしまったのかな。

 

 

広告業×営業ということから、とかく色々な企業を相手にすることが多い。1行目に書いたような「どうしてそんな人間に育った?」みたいな奴らに頭を抱える度に僕は「きっとこんな人でも、学生時代はまずまず恋をして、課題に追われて、友達と飲んでいたんだろうな。社会の何かが壊してしまったんだな。」と思うとなんというか、同情する。一種の防御態勢に入る。

 

 

そしてそうはならないと、必ずやあの時代を引き摺り回したまま歳を取ろうと思わせてくれる。誰も悪くはない。社会が学生をモンスターに仕上げていくのだ。まるでモンスターでいることが正しいかのように。

 

 

言い換えれば子どものままかもしれないが、よく言えば「人らしく」生きようと、山手線で思う朝でした。