大人になろうと思って努力をしたことはありますかね。
俺はね、今しているところ。
無理してお酒を飲んだり、タバコを吸ったり、悪そうな人と絡んでみたり、難しい音楽を無理矢理聴いて理解しようとしたり、学生の頃に感じる「カッコつけること」と「大人になること」は少し似ていた。あの感情って本当に大事だった。勿論まともな学生を送ってきたことが一番素晴らしいことだ。ただ、中には背伸びが必要だった人もいるんよな。
高校の頃、友達と自転車でどこまでもいける気がしていた。
事実今ではやる気も起きないような距離に行っては、ドンキホーテに予定も無く入り、何も買わずに帰っていた。なんとなく悪さをしているような、凄いことをしたようなそんな気分になれていた。そんな自転車の冒険中にね、千葉県の東金あたりを走っている頃かな、ジブリの話になったことを今でも思い出す。俺以外の2人はジブリマスターだった。人一倍好きだったのだろうけれど、俺はナウシカやもののけ姫、ラピュタを観た記憶もなく、ただただ話についていけず、オススメをされて終わった。それとディズニーも。
当時、「そんなジブリなんて…」とバカにするとかでもなく本当に興味もなかった俺はそのまま大人になった。
最近ようやく俺は気づいた。
世の中は案外、ジブリやディズニーが共通言語になっていることに。
それだけじゃない、ハリーポッターやワンピース、花より団子や鬼滅の刃、けいおん!あらゆるエンタメが人と人を繋ぐ言語になっていた。特に今の会社は平均年齢も27〜29歳と若く、そんな話になると俺は浮く。当時、何をしていたのだろう。俺だってBUMP OF CHICKENやRADWIMPSも聴いてきたが、どうやら音楽だけ共通言語が無いらしい。「天体観測」「ふたりごと」この辺を知っていればいいものの、ラピュタはそうもいかない。ラピュタを観ており、ある程度の流れを知っていることが「踏み絵」なんだよな。わかるよ。ただ飛行石ってなんだよ。わからないけど。
そしてこれら観てないことに加えてこの中身(精神)故に「俺、今も皆と違うんだぜ。」と思われがちである。違う違う。もう俺も少しだけおじさんになり、そんな時代は過ぎたんだよ。それは20歳の俺であって、俺も同じ言語で話したい。とも言えない。磨き続けてきたトゲみたいなものが邪魔して、上手く話せない。
だから俺は今、努力をしてコンテンツを消費している。
ワイルドスピードやジュラシックパークを観た。ワンピースも少しずつ読み始めて、「ぼざろ」も観た。この間梨泰院クラスも観た。俺は今、時代を逆行して、あの頃触れていなかったトレンドを探している。
大人に憧れていた結果、色々拾うべきものが拾えていなかった。
だから今年は‥と思ったけれど、果たしてこれが大人なのか。でも周りの大人は皆それらを一般教養として蓄えている。それなら俺も大人になろうと、踏み出したのが今年ってわけだ。