×××× IN MY HEAD

筒井です。夢はお笑い芸人のままです。

僕らにはアレもあって

 

おはようございます、筒井です。

 

 

 

『僕らは』

 

 

   フジロックのステージにてゴッチは「9年ぶりに俺らを見て、変わったね。と言う人もいるだろう。俺らは変わった。でも変わることはいいことだ。」と宣言していた。いいも悪いもモノによっちゃ判断しかねる場合はあるけれど、バンドが変わっていくことは基本的にいいことだと、今は思う。

 

 

 

   二十歳くらいの頃、変わることに苛立ちみたいなものを理由無く抱いていた。それは愛するバンドだけじゃなく友人の性格だったり、自身の環境の変化だったり、憧れていた人の生き方だったり、信じて揺らがなかったものが変わり果てた事実を正面から受け止めきれない時期が長く続いた。なぜかわからないけれど、この頃くらいから特定の誰かに怒りを向けるのではなく、何かしらの概念みたいなものがブレていればブレているほど、認めたくなくなり、得体も知れない苛立ちがたくさん生まれた。だからと言って普段からプンプンしてる人は好きじゃないし、僕はそんなご意見番キャラクターでもない。ただ、意味も無く何かに怒っている「痛い」ヤツだ。結局、怒りは不安に近かったんだろう。

 

 

 

   その頃、5年後自分がどうなっていたいかを考えて学生生活を過ごしなさいだとか、どんな大人になりたいだとか、そんなことを就活時期にセミナーや説明会で考えておくようにと教え込まれた。思えば新卒で入社したM社の新卒向けワークショップみたいなものでは、自分のビジョンみたいなものについて意味も無く書かされた。社畜として生きていくことを決心していたその頃、きっとその「未来の自分」みたいなものを記入することに苛立ちは無かったはずだが、内容は審査されていると異常に警戒していた。その結果、中身もお得意の嘘っぱちで固めた。その後、自分がこの会社に入社してどう成長したいか、どうなりたいかを発表する機会があった。表彰されたいだとか、部長になりたいだとか、モノや名誉に釣られる新卒(同期)を心の底から馬鹿にしていた。絶対そんな生半可な気持ちじゃ殺されると思っていた。

 

 

 

   そして実施された5年後のビジョンを語るプレゼン大会では、数百人を嘘で踏み倒して僕は優勝した。中には本当に成長した自分を語っていたヤツもいるだろうけれど、そんな現実的な意見は全て理想論だけで打ち砕けた。新卒に求められてるのは能力じゃなく、やる気とビッグマウスだけの会社だったからね。あの場で表彰されるなんて夢を語った奴が続々と辞めていったのは滑稽な話で、結局僕はグアムにも行けた。別にそれが凄いとかじゃなく、それだけ未来なんてものは読めない。そして馬鹿にしていた僕ももれなく会社に殺された。無情であり、非情だ。

 

 

 

   いつのまにかフラッとその「5年後」はやってきた。恐らく丁度、今くらいだ。ビジョンを語らせた会社は贔屓目に見てもプライドを捨て去れない奴らの掃き溜めだった。自分がここで辞めたら、どう思われるか不安で辞められなかった。ビビってた。同期は今もそんな気持ちで働いてる人もいるだろう。思い描いていたビジョンという煌びやかな言葉からからは程遠い終幕を迎えて、しばらくニートをして僕は渋谷のベンチャーに運良く引っこ抜かれた。誰がこんなこと予想していただろうか。あの時嘘で固めたビジョンでも、腹の中で思っていた「1年で辞めてやろ。」でもない生活をしている。僕は何を夢見て働いてきたのかと、今日虚しくなった。

 

 

 

   5年後にどうありたいかを思って働いた方がいいという話を未だに聞く。しかもわりと成功している人から聞く。きっとそうだろう、ゴールが見えているからどう進めばいいかがわかるんだろう。でも僕はそんなに賢くはないから、せめて曖昧に進んだ先に「これでよかった。」と妥協しないためにそれが必要なんだろう。

 

 

お金がなくても毎日が幸せならそれでいいという人をたまに見るが、金に困らず毎日幸せでいたほうがいい。なぜお金か幸せかの二択なんだ。僕はどっちもほしい。それを目指すためにはどうやら5年後どうなってるかを考えた方がいいらしい。確かに妥協はしたくない。諦めた先に「これでよかった。」はない。意識高めだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて書いたけれどそれでも、今日が一番若くて、今が今世紀最強に最先端で、この先のことなんてやっぱりわからないね。やっぱり意識高くなんていられないし、何かにいつもピリピリして、目移りして、かっこつけて、ウケだけもらって、先のことなんて気にせず、来週の飲み会あたりを生き甲斐にもりもり働こう。